SS「神様にお願い!」其の一
2015/05/09(Sat)15:09
神様=主人公(那岐)、人間=大学生陽介のパラレル主花。表紙は素材をお借りしました。
本文は続きよりどうぞ~
◆SUPER COMIC CITY24ありがとうございました。おかげさまで楽しかったです。次回参加は決まり次第お知らせします。
新刊はとらのあなで販売再開しましたので良かったらどうぞ
(http://www.toranoana.jp/mailorder/article/04/0030/30/08/040030300858.html)
アムリタの花はつぼみを閉じて待っていた。
命が咲き誇っている者を。
花を開いて見せたらどんな顔をするんだろうか。
永い時の中、ただ心待ちにしていた。
風光る
夕日が空を赤く染め上げている。
足が重い。
肩が重い。
頭が締め付けられるみたいに痛い。
日によって、時間によって症状は軽かったり重かったり色々だけど、夕暮れ時は特に酷くなる。
原因不明のこの症状にもだいぶ慣れたつもりだったけど、日増しに症状が酷くなってるような気がする。
痛み止めを飲んでも効かないのは随分前に実証済みだ。病院にも一応行って検査してみたけど、結局原因はわからなかった。
一時期ひどい寝不足になって不安に駆られることもあった。
だけど今は心強い味方がいる。
味方っつーか場所、か。
レジ打ちの仕事に集中することでなんとか気を紛らわせ、バイトが終わると重たい足でなんとか自転車を漕いで。
ようやくいつもの場所にたどり着いた。
石段を一段一段上がると、鮮やかな赤い鳥居が境内に向かって不揃いに並んでいる。
背の高い神社の空の面積を埋め尽くすほどの大きな楠が両脇に二本そそり立っているのが特徴的で、ほかはどこにでもあるシンプルな稲荷神社だ。
石の階段を上ると、誰もいない。
鳥居をくぐって境内に入ると、さっそく身体が軽くなったのを感じた。
境内の前の立って目の前に貼ってある参拝の作法通りに振鈴を鳴らし、賽銭の代わりにバックの中から稲荷寿司を取り出してお供えした。
柏手を打って、「いつもお世話になってます」と感謝を込めておじぎをした。
挨拶を終えると、参拝に来る人の邪魔にならないよう社の横の石畳の段差に座って休ませてもらうことにした。
「ハー…」
社の柱に寄りかかって深呼吸すると、神秘的で穏やかなこの空気に癒される。
以前あまりにも酷い身体の重さに家まで歩いていられなくなったことがあって、少し休ませてもらおうと石段に座った。
すると痛みや身体の重さが随分軽くなった。理由はわからないけど、この神社に来れば一時的にでも良くなる。
それ以来、家に帰る前にここに寄るのが日課になった。
痛みを抜きにしても楠の葉のざわめき、鳥のさえずり、そして清々しいこの空気が好きだ。社の柱に背中を預け、目を瞑っていると、心地よくて眠くなってしまう。
「ん……」
どのくらい目を瞑っていたのだろうか。目を開けると辺りは夕闇に染まっていた。
「うお。そろそろ帰るか」
慌てて起きあがると、ふと、振り鈴の音がして顔を上げた。ん?今、風、吹いてないよな?
音のする方を振り返ると、視線の先に人がいた。
「ん…うまい」
黒を基調とした紋付きの装束、頭に烏帽子をかぶった男が振り鈴の下に座っていた。
「……え?と」
なんかの撮影?いや他に人もいないし、カメラもないし、違うよな。
俺の視線に気がついた男はこちらを振り返った。
「ん?…驚いた。俺が見えるのか?」
闇に包まれてなお輝くようなグレイアッシュの髪に、長めの前髪の下に見え隠れする瞳は色素の薄い灰水晶色で、出で立ちを含めて吸いこまれそうな雰囲気がある。
指についた米粒を舌で舐める姿はどこか野生的だ。
ひとつひとつの動作に目が離せない。
「稲荷寿司、すごく美味しかった。ご馳走さま」
「あ……いえ」
にっこりと笑いかけられて。思わずぶわっと鳥肌が立った。美しく、神秘的だと思ってた男が笑うと幼くて、なのにどこか色っぽい。
めまぐるしい変化に目が奪われっぱなしでまともな反応が返せない。
あ、てか男相手に俺はなにを考えてんだろう。思わず咳をした。
「…や、つかそれ、神様にお供えしたつもりだったんですけど……あ、もしかしてここの神主さんとかですか?」
「今はツネ吉が家族旅行に行ってるから代わりに頂いたんだけど、悪かったな。ちゃんと感謝の気持ちは伝えておくから」
「稲荷寿司の礼に」と声をかけられて、気がつくと目の前に男がいた。え?つか、今まるで足音がしなかったんだけど?彼の言葉といい行動といい頭がぜんぜん追い付かない。
「その痛み、俺が治してやろうか」
「え?…なんで、痛みのこと」
この症状のことは親にもダチにも言ったことがなかった。理由もわからない痛みを言ったところで心配させるだけだからだ。よっぽど痛そうに見えたのだろうか。
「ここに来てお参りする人の心がわからないと、願いを叶えられないだろう。仮にも神なんだから」
「は?えと」
あ、もしかして電波系?あんまり関わらない方がいい感じの人?
「あ、疑ったな。まあいきなり俺は神ですなんて言われてはいそうですかなんて信じられるのは地上では古代の人くらいか。この混沌とした世で生きていくためには疑う心も必要だしな」
うんうん、と勝手に頷きながら、なら、これでどうだ、と彼は俺の額に手をかざした。
「ぅあ……っ」
暖かな手のひら。
あったかい光が流れこむような、そんなイメージが頭の中にとび込んできた。
光が体中を一瞬で巡ったと思ったら、一瞬にして痛みや重みが無くなった。
「根本を断ち切らないと完治しないから、これは一時的なものだけどな。どう?信じる気になった?」
「……す…すげー…っ!全然痛くない!ありがとな…いや、ありがとうございます…っ!マジで神様?やべーっ。疑ったりしてすんませんでした!」
見た目同い年くらいに見えるからついタメ口をきいてしまったが、神様となると話は別だ。おじぎして謝った。
「いや、畏まった態度をとられるのは好きじゃないんだ。ふつうに友達と話しているときと同じでいいよ。あと、神様って職業で呼ばれるのもね。那岐とでも呼んでくれ」
いいのかな、と思ってると、うんうんと那岐が促すように頷いてくれた。
「んじゃ、遠慮なく。…那岐。俺は陽介。花村陽介ってんだ。ありがとう、治してくれて」
名前を呼んで笑いかけると、那岐が一瞬驚いたような顔を見せて、くすぐったそうにはにかんだ。
あ、この人なんか可愛い。って、人じゃなくて神様か。
神様を可愛いなんて不遜かもしれないけど、なんだかいい人、じゃなかった、いい神様みたいだ。那岐のことを一瞬で気に入ってしまった。
「陽介、その症状のことをここで祈ったことはないよね。祈ったら助けてやれたかもしれないのに。なんでだ?」
問われて、思わず頭を掻いた。
「や、そのうちに治るかもしんないし、ここに通っていれば痛みも和らぐし、なんとかなるだろっ…て…」
答え終わらない内からなぜか那岐が眉を寄せて俺を見た。
「ちゃんと自分の身体を大切にしろ。でないと、このままいくと、陽介は死ぬ」
「へっ…いやいやいや大げさな」
冗談だと思って思わず手を振ったが、那岐は眉を寄せたまま表情をくずさない。
「陽介はこの症状の原因をわかっているか?」
「え?……いや」
首を横に振ると、那岐に俺の下腹を指で軽く押された。
「ここに。身体の外からでもわかるくらい大きなエネルギーの塊がある。甘い花の蜜のような香りもするし。たぶん俺たちの世界でアムリタと呼ぶ不老長寿の飲み物だ」
「アムリタ?」
どういうきっかけでそんなものが入ったのかわからないけど、それを欲してあやかしや鬼たちが肩や足にまとわりつくというわけだ。と淡々と彼が述べた。
「…」
言葉が出てこない。アムリタ?だとかあやかしだとか。すでに神様と話してるだけでも現実味を帯びていないのに。 あ、もしかしてこれって。
「夢じゃない。陽介はちゃんと起きて目を覚ましているよ。頬をたたいてあげようか?漫画だとそうやって主人公が目を覚ますよな」
「神様ってマンガとか読むの!?つかそーいうのは自分でつねるんだよ!たたくなよ!…っていやいやいやそういう話じゃなくてだな。那岐サン勝手に人の…」
俺が言わなくても、心の中は筒抜けになってしまうらしい。俺の恥ずかしい気持ちを理解したのか那岐が頷いた。
「…すまない。神域にいるとつい癖で心を読んでしまうな。・・・もう心の中を読んでないから大丈夫」
そう言って那岐が両手を上げて見せた。
「ん。ありがと。テレパシー?ってすげー便利かもだけど、やっぱ普通に会話して理解し合いたいっつーかさ。んで、アムリタだっけ?それはちょっと心当たりがあるんだけど」
この身体が重くなったりしたきっかけだ。印象的なことだったのでよく覚えている。
「一ヶ月前に民俗学の教授のお供で屋久島に行ったんだ。つっても俺は経済学専攻なんだけど、俺はあちこちの研究室にバイトで雇われてて、そん時は荷物持ちのバイトで雇われたんだ。んで、そん時にちょっと変わったことがあって」
教授が杉の根で転んで足首をひねってしまった。なので教授の応急手当をして一緒にしばらく休憩をとっていた。そしたらどっからか嗅いだことのない不思議な甘い匂いがした。
どうしても気になって、教授が休んでる間にその匂いをたどって歩いてみたら、見たことのない大きな白い花が杉に寄生していた。その花はまだつぼみで、今にも花びらが開きそうだった。
「その花の写メを撮ったりしてしばらくその匂いをかいでたら、急にどっかから声がして。んでいつの間にか意識が無くなっちまったんだ。屋久島から戻ってきてからなんだよな。調子が悪くなったのは」
その花の画像を那岐に見せると、那岐は確信したように頷いた。
「なるほど。屋久島は古来種の植物があるし、アムリタが隠れていてもおかしくない。でもアムリタが花という形で生存するなんて初めて聞いたよ」
那岐が頷いて、俺の腹を見た。
「…えっ…と、じゃあこん中に…」
なんとなくその話の意味を理解して、ぞーっと悪寒が背筋を走った。那岐が俺の想像を肯定するように頷いた。
「おそらくその屋久杉はアムリタに寄生されて弱っていたんだろう。そして目の前に生命力にあふれた陽介が現れた。今は陽介の腹の中に寄生して生きていると考えて間違いないだろう。人間に寄生する花なんて古代史から数えて初めてお目にかかるな」
うんうん、とかうなずきながら興味深そうに俺を見ないで!!
「い、生きてるって……」
腹をさすってみたが実感はわかない。特に腹を壊したとかないし。あ、でも周りから痩せた?って言われることが最近多いような……。
「そ、そんじゃ、その花を取ったらこの症状も無くなるんだよな?な?」
慌ててそう尋ねると、那岐が難しそうな顔をした。
「ああ。ただ身体に根が張っているものを無理矢理取ると陽介が痛みのショックで魂が抜けてしまうかもしれない。取るのは容易ではないと思う」
「たましい…?」
那岐は頷いた。
「陽介が陽介であるという自我は魂があるからだ。身体の主人のようなものだ。だからもし魂が抜けると陽介の身体はいわゆる植物状態になる。もしくは他の魂に乗っ取られて人が変わったようになる」
「ひえっ…!」
想像して冷や汗が出た。身体が動いても心は死んでいる。そんなのはご免だ。
「けど、このままだと陽介の命に関わるんだ。今は小物たちにしか気づかれてないけど、やがて大物に気づかれると陽介の腹を裂いてでも手にいれようとする輩が出てくるかもしれないから」
そう言われて、ようやく自分の身に起こってる現実を理解し、ぞっとした。このままでも危ないし、無理に花を取りだそうとするとそれはそれで危ない。今の俺は目隠しで綱渡りをしているようなものなのだ。
すると那岐が俺の手をとって両手で包みこんだ。
「俺は陽介にもっと自分のことを大事にしてほしい。だから本気で治したいなら、俺は陽介のことを守るし、アムリタを取り除く手だても見つける」
温かな手のひらに、その言葉に、胸がざわめいた。那岐は俺のことを本気で心配してくれているんだ。
那岐はさらに言葉を重ねた。
「神は人間にお願いされないと願いを叶えられないんだ。契約がないと人間の営みに干渉できないからね」
「え?じゃあ、さっきのは?」
額に手をかざして治してくれた時は、願いを言わなかったはずだ。
「あれは稲荷寿司の礼だよ。寿司を介して陽介と縁が出来たから、少しは礼を返すことができた。あれ、陽介の手作りだっただろ。食べてわかった。アムリタの力もあってなのか、力が湧くような美味さだった」
そう言われて、なんだか頬が熱くなった。
出来合いの材料を混ぜて稲荷に詰めただけで大した調理はしてないんだけど、そう言われると素直に嬉しい。俺は頷いて那岐の両手をとった。
「お願いだ。那岐、頭痛とか身体が重くなるこの症状がなくなるために、花を取り除く手伝いをしてもらえないか。頼む」
そうお願いすると、那岐はふわりと頬を緩ませて笑ってくれた。
「ああ、承知した」
その日から、しばらくの間、安全な那岐の家に泊まるように言われ、いったん着替えやレポートの類を取りにアパートに戻った。
自分の部屋がある二階建てのアパートに着くと、一階にある自分の部屋の前に人が立っていた。
黒いスーツと赤いネクタイの黒髪の男が、こちらを振り返り、へにゃりと笑った。どこか人を食ったような笑い方だ。なにか違和感がある。
「花村陽介君、だね。待ってたよ」
「え、と、どなたですか?」
男に見覚えはない。たぶん初対面のはずだ。
「へえ、本当に俺のことが見えるんだ?アムリタの力ってすごいねえ。君が持ってるそれを返してほしい。ソレ、もともとは俺のものなんだ」
「持ってるものって…」
なんとなく、だけど彼の話し方に不快さを感じる。
「わかってるクセに。アムリタだよ。いろんな奴が手を出してきたり、欲しいって囁きかけてきただろ?彼も含めて、さ」
彼、と強調して言われて那岐のことが頭に浮かんだ。なんとなく、那岐と目の前の男は同じ空気をまとっているように感じた。もしかしてこの男も神様なんだろうか。だけど那岐のことを良く思わない言い方に警戒心を抱いた。
不意に感じていた違和感の正体がわかった。笑っているのに目がちっとも笑っていないんだ。面倒なことや自分の欲望通りにことが進まないことを嫌ってる…そんな風に見える。
「那岐は花を欲しいなんて一言も言ってません。それに、これは自生してたものだから、あなたのものとは言えないんじゃないですか」
「やっぱアムリタが生きた花って噂は本当なんだ。道理で匂いがすごいと思った。なあに、俺なら彼と違って取り除いてあげるのも簡単にできるよ」
そう言って近づいてきたので、思わず後ずさりした。那岐の言葉を思い出したのだ。「腹を裂こうとしてでも取りだそうとする輩がいる」と。
「大丈夫、痛みさえ感じさせずに一瞬で終わらせてあげる」
そう後ろから声がかけられて、びっくりして振り向くと、先ほどの男がいつの間にか背後にいた。
よける間もなかった。
後ろから手のひらが背中に触れそうになり。
(やべえ…ッ!)
俺の腰に手を当てた瞬間、バチッと火花が飛び散るような音がして、青白い光が走った。
「う、あ…れ?」
痛みはなかった。特に身体に変わった様子もない。
彼がすぐに手をひっこめた。
「チッ…那岐か。あのクソガキが」
さっき那岐に持たされたお守り袋のおかげなんだろうか。助かった。思わず首に下げてたそれを取り出してぎゅっと握りしめた。
彼は手をさすりながら、ゆらりと背を向けた。
「今日は日が悪いみたいだから改めるよ。だけどこれだけは忠告しとく。あいつの人の良さそうな見た目に騙されない方がいい。相手を信じさせるだけ信じさせておいて裏切るのがあいつのやり口だからね。アムリタを手にいれたくて、君を騙しているのさ」
「そんなこと…」
否定したい。だけど否定できるほど那岐のことを知らない。それ以上なにも言えないでいると、クックッと男が笑った。
「出直してまた来るよ。その頃にはあの男の正体もわかるだろうしさ」
俺はしばらく立ち尽くして、男が言った言葉を反芻していた。
グルグルとまとまらない考えをもてあましながら、とにかく那岐と話してみなければなにも始まらないと、荷物を持って稲荷神社に行った。
石段を上がると、お参りしている人がいたので思わずそのまま立ち止まって様子を見た。どうやらおばあさんのようだ。随分熱心にお祈りしている。目を凝らすと、那岐が社の中に座ってそれを正面から見ていた。
おばあさんには那岐の姿は見えてないらしい。深くおじぎして鳥居の道の隅を歩いてこちらに向かってきた。思わず会釈すると、おばあさんも会釈してくれた。どこか深刻そうな雰囲気だ。
おばあさんの姿が見えなくなってから那岐に声をかけた。那岐は社の扉を開いて出迎えてくれた。けど、どこか悲しそうな笑みをたたえていた。
「……なにか、深刻な祈りだったのか?や、内容は聞かないけどさ」
「いや、陽介になら話しても差し支えないだろう。彼女の伴侶が癌に冒されているようで、もう先が長くないと宣告されたそうだ。良くなるようにとこの神社にはもう何回も来ているんだけど…」
「…叶えてあげられないの?そのお願い」
那岐は苦しそうに頷いた。
「神なんて言うと万能に聞こえるかもしれないけど、本当は人より得意分野に関してちょっとだけ発達していて長生きなだけの存在なんだ。刺されれば痛いし、致命傷を負えば死ぬ。人と大して変わらないんだ。彼女の伴侶を延命することはできても、根治はできない。延命したとしても彼と彼女の闘病生活を長くさせていたずらに苦しめるだけだ」
そう言いながらも那岐は歯を食いしばっていた。
「……そっか」
さっきまで抱いていた那岐を信じきれない気持ちはいつの間にか吹き飛んでいた。
あの黒スーツの男が言ってたことなんてどうでもいい。こんな風に人のことを想って、悩んで、神様としての使命をまっとうしようとしている那岐のことを悪くなんて絶対言わせない。
「人ってどうにもできないことがあると祈らずにはいられないもんな。きっとおばあさんもさ、ここに来て、気持ちを鎮めるために来てるんだよ。誰にも言えない気持ちとかさ、神様にぶつけることでなんとかやり過ごそうとしてるんだよ。だからさ、那岐が居て、そうやって祈りに真剣に耳を傾けてることは絶対おばあさんの救いになってるよ」
「陽介…」
「少なくとも俺は那岐のこと、頼りにしてるしな」
「うん……有り難う」
那岐は目を細めて笑ってくれた。
「ほんとだぜ!さっきもさ、黒いスーツの男に襲われそうになって。お前の持たせてくれたお守りのおかげで無事だったんだから」
そう言ってお守りを掲げてみせると、那岐は眉をひそめた。
「黒いスーツって…足立さんか。なにもされなかった?」
「ん。びっくりはしたけどお守りのおかげで向こうが退いてくれた」
気になることは言われたけど、今は考えないことにした。それは那岐のことをもっと知ってから考えればいい。
「そう、それは良かった。神でも天命に背いて自分の欲のために人間に害を及ぼすものもいるから、気をつけてくれ」
「あの人も神様なんだ…。ん、わかった。気をつける」
そう答えると、びゅうっと強い風が吹いて思わず身震いした。
「日も落ちて寒くなってきたな。中に入って。俺の家に案内するよ」
「おう!お世話になります」
社の中に入るのなんて初めてだ。招かれて、ドキドキしながら中に入ると、向こうに二枚戸の扉があって、那岐がそれを押すと、神社の鳥居と同じものがずっと向こうまで広がっていた。
「……思ってたよりこの稲荷神社、広かったんだな」
そう呟くと、那岐が笑って俺の手を取った。扉の向こうに出ると、横と地面は霧のような、雲のようなものが広がっていた。鳥居と真っ白い道はどこまでも続いていて先が見えない。
「もうここからは違う場所だよ。うーん、なんて言えばいいのか。そうだな、パソコンでたとえると神社が端末で、ここはホストみたいな場所かな」
神様ってIT関連にも詳しいんですね!なんか色々目から鱗が落ちる。つか、何で手を繋いでんの、俺たち?
「ここはいろんな世界に繋がってる不安定な場所だからね、陽介がうっかり迷子にならないように手を繋いでおく」
「え…俺、今声に出してたっけ?」
那岐が口の端を上げて、人の悪そうな顔で笑った。
「触れてると、ノーカットで聞こえちゃうから。あんまり色々考えない方がいいよ」
「おまっ、切って!回線切って!」
「あはは、回線て」
那岐は大きな口を開けてあけすけに笑った。それを見たら胸の中が暖かいもので満たされていく。彼の隣は居心地が良すぎて、全部駄々漏れでもいいかって思えてしまうから本当に困る。
「………」
急に那岐が黙り込んだ。
「うおっ今の聞こえた?聞こえちまった!?もーヤダ…ッ」
「触れてるときは回線、切れないから…ごめん」
那岐が顔を赤くするから、俺までつられて赤くなってしまう。もーやだ、早く家に到着したげて。手が汗ばんでないか気になってしまって、歩いている時間がやけに長く感じた。
長い鳥居を抜けると、どれくらい歩いたのかわからないけど、やがて風景が変わって屋敷が現れた。
「着いたよ。ここが俺のうち」
瓦屋根のある敷居をまたぐと、現れた建物は平屋の木造建築の建物で、看板のない高級料亭っぽい古風な造りだ。那岐が入ると、玄関まで続く灯籠が入り口から順番に点った。周りに植えられている松や金柑など、いろんな植物を眺めながら石畳の上を歩いた。普通の人間の世界と変わらないんだけど、植物がすごく生き生きしてるし、水仙みたいな花のいい香りがしてくる。
「ようこそ、俺のうちへ」
那岐が客人は久しぶりだ、と嬉しそうな顔で言ったので、ほっとした。那岐のうちの人に迷惑じゃないかなと思ってたから。
「いや、俺、今はひとり暮らしなんだ。だから気兼ねしないでくれ。じゃあ、俺は台所でお茶を入れてくるから。陽介は靴を脱いで、とりあえず奥の居間に荷物を置いてくつろいでてくれ」
「え、ああ」
それまで手をずっと繋いでいたのに気がついて、ゆっくりと離した。離した瞬間、那岐の手が俺の小指をするりと撫でるような仕草を見せたから、もしかしてちょっと離すのが惜しいと思った俺の心が伝わってしまったのかもしれないと思って、少し気恥ずかしくなった。
那岐の表情を伺う前に、彼は靴を脱がずに土間を抜けて台所へと行った。俺は靴を脱いで正面から上がった。
「おじゃましまーす」
広い玄関の目の前に飴色の廊下が続いていて、角につきあたると、木の枠にはめられた飴細工みたいにゆがみのあるガラス戸の向こうに中庭が広がっていた。中庭は大きな池があって、さっき香った水仙や菖蒲が植えられていた。小さな赤い橋が池の真ん中に架けられていて、向こう側には小さな稲荷神社もあって、思った以上に屋敷は広かった。
廊下の先に進むと右と左に廊下が分岐していて、どっちに行ったらいいかわからず、適当に右に進み、ふすまを開けると、小さな畳の部屋があった。
「やべッ、間違えたか」
部屋には畳んで置いてある布団一式、その向こうに棚いっぱいに本が並んでいた。「弱虫先生」シリーズとかの小説もあるし、「できる!家庭菜園」や「上級者向け釣り実践本」とかの実用書もあるし、はたまた「魔女探偵ラブリーン」とか。随分広いラインナップだな。脇をみると、作りかけのプラモデルの部品がテーブルの上に置いてある。
ここってもしかして那岐の私室…か?
「陽介?こっちだよ」
向こうから声をかけられて、慌ててふすまを元に戻して廊下の方へ戻った。
「わり、ちょっと迷っちゃって」
那岐が廊下の隣にある襖から顔を出した。
「ああ、ふすまが閉まってたからわからなかったかもな」
そう言って、那岐のいる方のふすまが開け放たれた。十二畳くらいある畳の部屋だ。真ん中にテーブルが置いてあって、お茶がふたつ置かれている。荷物を置いて座布団の上に腰を下ろした。
「間違えてお前の部屋っぽいとこに入っちまった。ごめんな」
「いや、別に見られて困るようなものはないし、陽介なら構わないよ」
そんな風に言われると、なんかくすぐったい。そんなに俺のこと信用しちゃっていいのかね。
「陽介の泊まる部屋だけど、池の向こうに離れがあるから。そこでいいかな」
「えっ。俺、ここでも構わないけど」
そう言うと、那岐は目を大きく開いた。
「いや、陽介は大切なお客さんだし、ここは俺の家族とかたまに出入りするから落ち着かないんじゃないか」
「へえ、お前の家族?親とか?」
那岐はお茶をすすりながら言った。
「ううん、子供とか孫とか曾孫とか。みんな一人立ちして今は俺、一人暮らしだから、時々様子を見に来るんだ」
「曾孫って…お前いくつだよ。あ、そうか、神様だっけ…なんかお前と話してると俺と同い年の友達みたいな感覚になるんだよなー。なんつーの?世間ズレしたちょっとほっとけない友達みたいな」
冗談まじりにそう言うと、那岐はなぜだか嬉しそうに笑った。
「俺も人間の友達ができたみたいで嬉しいよ」
「え……?」
「あ、迷惑だったか?」
そう悲しげに頭を傾けられたからぶんぶんと頭を振った。
「そんなことない!俺も、お前とそんな関係になれたらすげー嬉しいって思ってた!」
「陽介…」
嬉しくて、でもちょっと気恥ずかしくて、出されたお茶を一気飲みした。まだ熱くて、ちっと舌をやけどしてしまった。
那岐が笑った。それを見て気がついた。さっき言った自分の言葉はまだ遠慮があったことに。
「やっぱ泊まる部屋だけど……。お前が嫌じゃなかったら、その……お前の部屋がいいな」
「え?」
小さく驚きの声を上げて、那岐が俺を見た。
「神様のお前が見えるのって、たぶんアムリタがお腹にあるからだろ。だからさ、アムリタを取り出せばもうお前のこと見えなくなるかもしれない。違うか?」
「…おそらくそうだろうね」
「だからさ、お前といられる時間もどのくらいあるかわかんないし、もっとお前と話したいんだ。お前のことも知りたいし、俺のことも話したい。なるべく邪魔にはならないようにするから……だめか?」
那岐は俺の目をじっと見て、頷いてくれた。
「せまい部屋だけど。陽介がそれで良いんなら」
「うん、サンキュ!」
こうして俺はしばらく那岐にやっかいになることになった。
飯の支度をするというので手伝いを申し出たが、料理は趣味だという那岐に辞退されたので、言葉に甘えさせてもらって、提出期限の迫ったレポートに取りかかることにした。
中庭の眺めを客間のテーブルで頭を抱えながら目の前の紙と格闘していると、包丁がまな板をたたくトントンという音が台所の方から響きわたってくる。なんかこういうの、正月の実家みたいで落ち着くなあ。
つきあいはじめたばかりの彼女に手作り料理を作ってもらったこともあったけど、焦げた料理に苦い顔をして彼女のためを思って素直な感想を伝えてそれでも作ってくれたことに感謝して平らげたら、その次の日、「陽介君って思ったのと違ってた」って言われてフラレましたけどね!もう全然気にしてませんけど!
まあ、今は自分の夢もあるし、彼女欲しいとかそういうのもしばらくいいかなって思うし。
「何考えてるの?手が止まってるよ」
後ろから声をかけられて、びっくりしてシャーペンを落とした。
「や、前につき合ってた彼女のこと、ちっと思い出して」
「…へえ」
「あ、別に未練があるわけじゃないんだぜ。ただ、料理がちょっとアレだったなって」
次、つき合う彼女は料理上手がいい。そう切実に念じていると、目の前に肉じゃがが置かれた。
「気が散っているようだから、ごはんにしようか。できたよ」
「うおおお…!うまそう!」
ごはんとおあげの味噌汁と、ほうれん草のおひたし、キュウリとカブの浅漬け、そして、西京焼きに出汁巻き卵。次々に並べられる料理からはどれもいい匂いが漂ってきてる。
「暖かいうちに召し上がれ」
「いただきますっ」
つか、神様の手料理なんて人間が食べていいんだろうか。普通こっちがお供えする立場なのにな。でも、出されたものは頂かないとだよな。
まずは好物の肉じゃがから箸をつけた。箸でじゃがいもを割ると、ほろほろと溶けて、バラ肉と一緒に口に入れるとうまみがじわりと広がった。
「んんっ…!?ふまっ!はにこれ!ん、んぐ。おふくろの肉じゃがもうまいけど、こっちの方が断然俺好み…!なんなのこれ?すげー力が沸いてくる感じ。那岐マジック?や、神様か。那岐、これ、すげーうめーよ!」
思わず言いながら顔を上げて那岐を見ると、味噌汁を手に持ったまま固まったまま俺を見つめていて、しばらくすると戸惑ったように言葉を選ぶようにゆっくりと話した。
「そんなに喜んでくれるとは思わなかった…。陽介が泊まりに来るのは急なことだったし、いつもの何てことない料理なんだけど。良かったらたくさん作ったからおかわりしてくれ」
「おう、んじゃ遠慮なく!」
他のおかずもどれも野菜のうまみとダシのバランスがいいのかすごく美味しい。まかないの出る居酒屋や飲食店でバイトもするから結構色んな料理を食べているけど、那岐の料理が俺の中でダントツ一位だ。
人間がご飯を食べている姿がそんなにめずらしいんだろうか。那岐はご飯を食べるよりも俺の様子を見ることに専念していた。嬉しそうに、幸せそうにじっと見ていた。
俺は無我夢中でご飯を平らげた。あー、すげー幸せ…ッ!
「こんな料理上手じゃ、那岐ってすげーモテるだろ?マジ、那岐の料理を一生食えるなんて奥さんは幸せ者だもんなー」
そう言ってからふと気付いた。ひとり暮らしって言ってたけど奥さんとは一緒に住んでないのだろうか。あ…やべ、俺、地雷踏んじまった?
言葉を詰まらせてると、那岐は「そんなことないよ」と首を振って苦笑いした。
「奥さんに先立たれてからは仕事と趣味に没頭する毎日だし。料理はたまに子供や孫、曾孫が食べに来るぐらいだよ」
そう語る顔はどこか遠くを見つめていて、亡くなった奥さんのことを考えているのかな、と思うとなぜか胸がツキンと痛んだ。
「……そっか。辛いこと思い出させちゃってごめん。なら、アムリタを取り出してもらうまでの間、俺が那岐の料理を独り占めしちまってもいい?」
ちょっとだけ欲を出してそう言うと、当たり前とばかりに那岐は軽く頷いてくれた。
「ああ。陽介はたくさん食べてくれるから作り甲斐があるよ。アムリタの影響で身体も弱っていると思うし、好きなだけ食べて体力をつけてくれ」
「おうっ」
ひとしきり料理を食べ終えてご馳走様でした、と手を合わせた。
さすがに食べっぱなしは申し訳なかったので皿の片づけをさせてもらった。
片づけが終わると、那岐が奥から顔の大きさほどの日本酒の壷とおちょこを二つ持ってきた。
「陽介、酒は飲める?」
一応成人してるし、いろんなサークルに出入りしてるからつき合いで飲むことは多い。俺は頷いた。
「あんま強くはないけど、ちっとなら」
「じゃあちょっと晩酌につき合ってくれ」
那岐は縁側の窓を開けてそこに座ると、俺を手招きした。
四月の夜の風は涼しい。庭のどこかで虫がリンリンと鳴いている。情緒ある庭はむせかえるような草や花の匂いで満ちている。片足を上げて酒を注ぐ那岐の姿はとても様になっていて、いつまでも見ていたくなる。
「はい、神の世界の酒だから陽介には少し強いかもしれない。最初は舐めるようにして味わってみて」
「サンキュ」
酒の壺を見ると、「神殺し」という不穏なラベルがついている。いいの、それ?とか思いつつ、那岐に言われた通り舐めて味を確かめた。
「…なにこれ」
ふんわりと花のようないい香りがする。舐めると、まるで花の蜜をエキスにしたみたいだ。日本酒にもこんなのがあるんだ。うまい。これはヤバい。
「神の世界の蓮の花で作られた酒なんだ。どう?旨いだろ」
頷いて、思わずくいっと一気に口に含むと、那岐におちょこを奪われた。
「陽介、そんなに一気に煽ると危ない…!」
「へっ?なんで?だいじょう…」
と言いかけて、後から一気にアルコールのようなものが喉を焼いた。熱い。焼けるように身体が熱い。
「う…お…っ」
「だから言ったのに」
やがてそれが身体中をめぐって、脳みそまで伝わると、ふわふわと気持ちよくなってきた。天女が池の周りで楽器を鳴らしながら踊っている風景が目に浮かぶようだ。
「すげー、コレ、美味しいな…っ。なあなあ、もう一杯」
「…これ以上は身体に毒だ。水を持ってくる。ちょっと待ってて」
「行くなよ。淋しいだろ…」
立ち上がろうとする那岐の着物の裾を掴んだ。もっと傍にいてほしい。そういう想いをこめて那岐を引き寄せ、無理矢理腰を抱きしめて膝枕してもらった。
「へへー。那岐の膝枕。気持ちいー」
「陽介…」
なぜか那岐は困ったように俺を見下ろした。こんな角度から誰かを見るなんて久しぶりだ。俺、淋しいのかな。那岐に何してほしいんだろう。よくわからない。けど、那岐とはもっと触れ合いたい。
「なんでそんな顔すんの?俺はお前と酒を飲めて嬉しいのに。膝枕、気持ちーのに」
「酔っぱらい…」
「いいじゃん酔っぱらったって。那岐ももっと飲めよ。んで、酔っぱらっちまえよ。俺と一緒にさ」
「はいはい」
那岐が俺のことを子どもをあやすみたいに髪をなでるので、口をとがらせた。
「んだよ。神様だからって偉そうにすんらー。俺らって、俺らってなあ夢があるんだぞ」
呂律がまわらなくなってうまくしゃべれない。言葉では伝えられないので、那岐の顔に手を伸ばして柔らかそうな頬に触れた。想像どおりさらさらとした吸いつくような肌で気持ちいい。那岐は困ったような顔をして俺を見ている。
「俺はー、いつか自分のカフェを開く夢があるんら、バカにすんら!」
そう言うと、「そうか」と那岐が頷いてくれた。それが肯定されたようで嬉しくて、ふわふわと天にでも昇りそうな気持ちになって、那岐の腰に抱きついた。
「こら、陽介…」
「那岐、好き…」
もっと那岐と話したい。那岐の抱えてるもんとか俺にももっと見せてほしい。俺に何かできるなら那岐の力になりたい……。
けれど気持ちが言葉になる前に、夢心地のまま真っ白な世界へと沈んでしまった。
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No.134|主花SS「神様にお願い!」|Comment(0)|Trackback