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ラフレシ庵+ダブルメガネ


家族ごっこ3

2018/01/07(Sun)15:39




ペルソナやテレビの世界がなく、事件も起こらなかった八十稲羽の数年後のお話。主人公(鳴上悠)が小西先輩の息子という特殊設定です。

今回は陽介目線のお話です。

素敵な表紙イラストは屋根さんに描いていただいています。膝小僧が見える半ズボンスーツにしてくれた屋根さんに敬礼(`・ω・´)ゞビシッ

なんと漢字を入れると何年生までに習得する漢字か検索できるサイトを発見。
そんな便利なものがあるとは思わなかった~


SS本文は下↓の続きからどうぞ。



 清掃業務を終えるとカウンターの業務を夜勤務の七海ちゃんに引き継ぎ事項を伝えて交代した。そして後から清掃業務を終えた三井さんの顔を見たら、そろそろ昼休みだなと思い、ふと気がついた。

「…やっべえ! 弁当忘れてきた!」
「ん? 花村君、お弁当持参なの?」

 頭を抱えながら肯いた。
 そう、以前は昼飯や夕飯にコンビニ弁当を買っていた。だけど最近は自炊をちゃんとするようになって、そのついでに弁当を作るようになったのだ。まあ味は辛すぎたり甘過ぎたり味がなかったりと色々だけど。うん…ようは食えれば良いんだ、食えれば。

「俺、気になって、家計の計算とかしてみたんですよ。そしたら、悠が大学まで行くとすると、すっげー金がかかるんだってビックリして。んで、とりあえず自炊して弁当も作ることにしたんです」

 養育のための助成金は出ているが、それは悠が進学や就職で必要となった時に使えるように悠の銀行口座に振り込んでもらっていて、手をつけていない。なるべく自分の給料で悠の生活費を賄いたいと思っている。

「そういうところからコツコツよねえ。うちも育ち盛りの息子二人でものすごく食べるから、家計のやりくりが大変よー」
「そっか、食費も上がっていくのかー!くぅー!」

 三井さんところは小学6年生と中学生の男の子がいて、育児に関することや学校の役員のこととか色々教えてくれるのですごく助かっている。子どもの用事がある時にシフトの交代をお願いし合ったり、子ども向けのイベント情報を教え合ったり、すっかり主婦友(?)みたいな関係になっている。
 自分が小学生の時、なんにも考えずに当たり前にご飯を食べて遊んで無邪気に過ごしている裏で、親は金銭面でも時間のやりくりでも苦労して俺を育ててくれたんだなあと身にしみるものがある。

「こんにちは」

 どこからか声をかけられて、見ると、悠がカウンターに背伸びして俺たちを見ている。

「悠? ここまで一人で来たのか?」
「うん。陽介、お弁当を忘れてたから」
「おーサンキュ。わざわざ悪いな」

 悠から弁当を受け取ってカウンター越しに頭を撫でると、悠はくすぐったそうに目をつぶった。そうか、今日は半日授業の日だから、うちに置きっ放しになっていた弁当を見つけて届けてくれたんだな。

「これからうちの実家に行くんだよな?」
「うん。ママさんが『ショウガやき』をおしえてくれるって」
「おっ、俺の好物じゃん! んじゃ、仕事が終わったら迎えに行くな」

 悠は首をふるふると横に振った。

「大丈夫だよ、自分で帰れる」
「暗くなったら危ないだろ」
「いいって」

 悠の頭をぐしゃぐしゃに撫でてやった。

「俺がお前と一緒に帰りたいの!」

 その言葉に、悠は頬をほんのりと紅く染めた。

「…わかった」
「んじゃ、後でな。車に気をつけて行けよ」
「うん」

 悠に手を振って見送った。
 三井さんが悠の後ろ姿を見ながら呟いた。

「ほんと可愛い子ねえ。すごく良い子だし。うちの子は私が弁当忘れても届けようなんて思わないもの。どうやったらあんな子に育つのかしら」
「へへっ、でしょ? すげーしっかり者だし、この弁当に入っている卵焼きも悠が作ったんですよ。最近料理をちょっとずつ覚えてて、俺より手際が良いし。できることは何でも自分でやるし、落ち着きもあるし」

 そう悠自慢をすると、なんだか可哀想なものを見る目で俺を見た。

「あー……保護者がこうだから、しっかりせざるを得ないのね…」
「ちょ、それ、どういう意味っすか!?」


 チェックインが始まる一時間前にミーティングが行われた。
 二ノ宮支配人が資料を各自に配った。

「ホテルグループの方針が変わったので目を通しておいてほしい。各ホテルがそれぞれの個性を生かすイメージ戦略をするようにとの通達だ」

 今までホームページも統括がまとめて作っていたが、今度からはそれぞれのホテルで作成するようになることになったらしい。

「そこでみんなに当ホテルの特長について考えてもらいたい」

 そう言って、みんなを見渡した。支配人と目が合ったので、意見もまとまらないまま、とりあえず思っていることを口にした。

「特長……うーん、田舎でのんびりしていて、近所に温泉もあって、のどかって所…ですかね」

 すると四方田主任が腕を組んで首をひねった。

「それだけだったらわりとどこにでもあるんじゃないのー?」
「でも、都会に住む人から見たら田舎でのどかってワードはそそられると思う。それにこう…あったかいおもてなしの心とか、特別な旅の思い出みたいな感じはベタだけど大事よね」

 三井さんが俺の意見を後押しし、それを他のみんなも頷いている。

「たしかに、あたたかく出迎えるというイメージは大事だ。ホームページのデザインについても意見があったら言ってくれ。今度の開業8周年で更新する予定だから」
「最近流行りのマスコットキャラクターとか登場させたらどうっすか? わかりやすいし印象に残るでしょ」

 四方田主任が言うと、支配人が苦い顔をした。

「あんまり子どもっぽい雰囲気のホームページだとホテルの格調が下がるぞ」
「それなら、イメージキャラクターはどうです? 女優とか男優で」
「広告のための予算は出ているが…さすがに有名人を呼ぶ程はないぞ。かと言って普通の俳優がやってもインパクトは薄いだろうしな」

 うーん、とみんな唸った。どこからか視線を感じて見回すと、なぜか三井さんが俺をじっと見ている。やがて口を開いた。

「…それなら子どもはどうですか? 8周年ってことで、8歳くらいの男の子。花村君家のお子さんがちょうどそれくらいの年で、雰囲気ある可愛い子だからぴったりだと思うんですよねえ」
「へっ?」

 すると、四方田主任も頷いた。

「それ、面白いじゃん。毎年、その子の誕生日を家族とホテルで過ごすってシチュエーションで写真を撮ってみたら」
「イメージが伝わりやすくて良いな。テーマは『あたたかいおもてなしと大切な人と過ごす特別な時間』。花村、その子の写真は持っているか?」
「え? あ、はい」

 この前、母さんに「写真を送ってちょうだい」と頼まれて撮った運動会の時の悠の写メがある。スマホの画面を二ノ宮支配人に見せると、横から覗きこんだ四方田さんとふたりで同時に肯いた。

「花村。やってくれるか?」

 急に話を振られて頭が追いつかない。それって、つまり、悠がホテルのホームページの顔になるってこと?

「ちょ、ちょっと待ってください。本人と話してみないと何とも…」
「じゃあ仕事が終わったら早速聞いてみてくれ。なるべく早い返答をな」

 二ノ宮さんにそう言われ、俺は頷くしかなくて、そこでミーティングは解散となった。





「ってわけなんだけど、どうだ…?」

 実家からの帰り道、悠と手をつないで河川敷を歩きながら説明すると、悠はあっさりと頷いた。

「うん、いいよ」
「…あのな、たぶんよくわかってねーと思うけど。毎年ホテルで写真を撮るから自分の時間を取られると思うし、ホームページを見た知らない人に顔を覚えられることになるんだ。それでも良いのか? 嫌なら断っても良いんだからな」

 悠はやっぱり頷いた。

「いいよ。陽介のおしごとのおてつだいができるんでしょ? だったらやるよ」

 悠って本当に空気を敏感に読む子だよな。自分の気持ちより、まわりの人の気持ちを優先してしまう。そういうところ、悠らしいと思うけど、同時にもうちょっとくらいわがままを言ってくれても良いのにとも思ってしまう。
 思わずその頭をぐしゃぐしゃに撫でた。くすぐったそうに目をつぶった。

「じゃあ、なんかご褒美をやらないとな。俺のためにやってくれるんだし」
「ごほうび?」
「そ、何でも良いよ。お前が欲しいものとか、俺にやってほしいこととか」

 そう言うと、悠はじっと前を向いて黙った。

「ん? 思いつかない?」

 うなずきもせず、否定もしない。もしかして、なにか考えていることがあるんだろうか。長い沈黙をぐっと堪えて悠の返事を待つ。

「…あの、あのね」

 悠が何かを言いたそうな顔で見上げた。その頬が紅潮している。

「あのね、陽介と一日いっしょにいたい」
「…………え?」

 しばらく理解できなかった。もしかして、それが悠にとってのご褒美、なのか? 本当にコイツって甘え下手だなあ。

「バッカだなあ。んなの、全然ご褒美じゃねーって!」

 そんなのはいつでもできて、悠と一緒に何にも用事がない一日を過ごすのは俺にとっても安らぐ時間でご褒美で。なんだかこみ上げてくるものがあって、しばらく夜空を見上げた。

「んじゃ、二人でどっか旅行に行くか。遊園地とか動物園とか」
「……いいの? いそがしくないの?」
「おう! 忙しくても、休みをもぎ取ってやる。情報を集めとくからどこに行くか一緒に決めようぜ」

 そうウインクして見せると、ぱあっと悠の顔が輝いた。

「うん!」

 繋いでいる手をぶんぶんと勢いよく振っている。本当に嬉しいんだなあ。こっちまで嬉しくなってしまう。
 すると、悠が川の方をじっと見た。

「ん、どうした?」
「あのね、この前、あそこで声かけられた」
「は? …知らないヤツにか?」

 怪しいヤツかと思って尋ねると、悠は首を横に振った。

「お母さんのオソウシキにいた人。お母さんにそっくりだったお兄ちゃん」

 笹舟を流していたら声をかけられたらしい。「それ、姉ちゃんに教えられたの?」と。

「あー…それはたぶん、尚紀だな」
「ナオキ?」
「ああ、お前の母さんの弟だ。お前にとっては叔父に当たる人だ」

 俺も時々商店街を通ると見かける。小西先輩にそっくりの顔立ちをしている。俺を見つけると、悠の保護者をしていることを知っているようで、意味ありげな視線を向け、すぐに酒屋の仕事に戻っていく。
 もうあれから…小西先輩の死から一年経つ。どんな風に先輩の死を、悠の存在を思っているのだろう。機会があったら話してみたいと思っていた。
 悠はぼんやりとした表情で「弟…オジ…」と口の中で反芻している。

「なにか尚紀に言われたのか?」
「ううん、なんにも。ぼくがお母さんに教えてもらったんだよって言ったら、『ふうん』ってフネを見てただけ」
「そっか…」

 そう言えば、高校時代、小西先輩が川に笹舟を流していたのを見た覚えがある。どんな想いで先輩は笹舟を流していたんだろうか。悠は、そして尚紀は。

 夜の河川敷は灯りも少なくうす暗くて、だからなのかその向こうに点々と灯っている家々の明かりが暖かく、どこか懐かしいように感じる。自分たちの家に帰りたい。そんな気持ちに駆られる。

「帰ろう、俺たちの家に」

 そう声をかけると、悠は「うん」と顔ごと大きく頷いた。
 悠の小さな手を強く握った。





 撮影は一日がかりのため、メンテナンス休業日に行われた。

 ホテルの売りである「いつもより特別な感じ」を出すために、悠は子ども用のスーツに着替えた。緊張しているのか、撮影スタッフに「笑って」とリクエストされてもいつも以上に無表情のまま顔が固まっている。苦笑いした撮影スタッフから「親御さんいますか?」と声かけがあったので、保護者の俺が手を上げた。

「親御さんと一緒の方がリラックスすると思うんで、加わってもらえますか?」
「え、俺も?」
「写真には手とか足しか映りませんので。一応これに着替えてください」

 スタッフに言われた通りスーツに着替え、悠のもとに行った。俺を見た悠は硬くなっていた表情を少しだけ和らげた。

「あー、フラッシュが眩しいし、なんか緊張するなー。まあ俺は映んないけどさ」

 苦笑いすると、悠も無表情に頷いた。

「良いですよ、そのままソファに腰掛けて会話していてください。勝手に撮影しているので」

 とりあえず悠にリラックスしてもらえれば良いんだよな。

「この間、恐竜博物館のチケット、取っておいたから。つーか、本当に日帰りで良かったのか? どっかの温泉旅館に一泊とかでも良いんだぜ」

 うんと悠は頷いた。こういう時の悠はかたくなだ。俺にお金や時間を使わようとしない。子どもにそういう気遣いをさせてしまうのがなんだかくやしい。

「じゃあその後、でっかいすべり台がある公園に寄っていこうぜ。あと、三井さんに聞いたんだけど、近くにめちゃくちゃうまいパフェの店があるんだって。そこにも寄ってみようぜ」

 そう提案すると、悠の頬が紅潮した。キラキラと瞳が輝いている。

「すごいね、楽しみ…!」
「おう! そういや、悠って温泉は好きか?」
「オンセン…っておサルさんが入ってる?」

 顔を傾けてそう尋ねられて、思わず苦笑いした。

「あー…この辺の温泉で猿は出ねえな。わりとこの辺り、日帰り温泉がいっぱいあるけど、そう言えば悠と一緒に行ったことがねえなって思って。行ってみたい?」
「うん。……いいの?」

 本当に遠慮深いヤツ。頭をガシガシと撫でると、撮影スタッフから「すいません、髪型が崩れるので、撫でるのはNGでお願いします」と言われてしまった。撮影だということを一瞬忘れていた。

「あー! すんません!つい…」
「あはは」

 悠が俺を見て、おかしそうに笑った。

「良い笑顔ですね。その調子」

 悠はいつの間にか緊張がほぐれた様だ。注意されちゃったけど、まあ悠が笑ってくれたから良しとするか。

「次はホテルの廊下に移動します。手を繋いで歩いてください」

 色々と指示を出されながら、ホテルの庭園を歩いたり、レストランで食事をちょっとだけ戴いたり、スイートルームからの眺めを一緒に楽しんだり、ベッドの寝心地の良さまでお客さんになった気分で体感した。
 だんだん撮影されていることを忘れて、ふたりでホテルの中を探検する子どもみたいな気分で一緒に過ごす時間を楽しんだ。



 すべての撮影が終わると、支配人が悠の前にしゃがみこんだ。

「撮影に協力してくれてありがとう。これ、今日のお礼に。本を読むのが好きだって花村から聞いているから」

 そう言って、悠に図書カードが入っている包みを手渡してくれた。悠は俺の顔を見て受け取っていいのか窺ってきた。俺が「いいぜ」と頷くと、支配人に向かってぺこりとおじぎして受け取った。

「支配人、ありがとうございます」

 支配人もホテルのおもてなしをする側として撮影に加わっていたけど、普段と変わらず品格のある佇まいで、俺たちにも最上級のおもてなしをしてくれた。俺だったら撮影だからと変に気負ったり無理に笑顔を作ってしまいそうだ。いつになったらこんな風になれるのやら。

「撮影スタッフが二人とも撮りがいのある良い被写体だったって褒めてたぞ。花村は今日、休みだったのに悪いな」
「いえ、俺はただ悠と一緒にいただけなんで全然。良いホームページが出来ると良いっすね」

 支配人は頷いて、「また来年も頼むことになると思うが、よろしくな」と悠の頭を撫でた。
 帰り間際、撮影スタッフから「これ、テストで撮ったものです。良かったら今日の記念に」と写真を一枚もらった。見ると食事をしながら悠も俺も笑っていて、それを傍から見るのって何だか不思議な感じだ。
 そういえば写メは撮ってきたけど、撮ったものをプリントしたことがなかった。
 
 これから悠の色々な成長の課程を残していきたいので、帰りにジュネスに寄ってアルバムを買った。
 そしてそのアルバムに記念すべき一枚目としてもらった写真を納めた。まだお互い家族ごっこみたいな感じだけど、いつか本当の家族みたいになれるのかな。そうなれると良いな。心からそう思った。




 数日後、悠と約束していた日に出かけた。空は残念ながらあいにくの雨模様だ。
 それでも車でドライブしながら悠と楽しくおしゃべりした。

 まずは恐竜博物館に行った。中に入ると悠は目を輝かせ「本で読んだのとおんなじだ!」と珍しくはしゃいでいる。トリケラトプスの頭からしっぽの部分まで行ったり来たりして、俺に本で読んだことを色々と説明してくれる。

「大昔の生き物ってこんなにでかいんだなー」
「うん。大きいからエサをいっぱい食べなくちゃいけないんだって。だからもっと生きやすいように鳥とか色んな生き物に進化したんだって」
「へえ。悠は物知りだな」

 アンモナイトに触ってもいいコーナーでそれを触ってみたり、マンモスの前で写真が撮れるコーナーでは他のお客さんにふたりで映っている写真を撮ってもらった。館内を回り終えて、おみやげコーナーへ行くと、悠に声をかけた。

「おみやげにひとつだけ買ってやるから、何でも欲しいものを持ってきな」
「……いいの?」
「ったく、子どもが気遣いするなって言ってるだろ。ほら、行ってこい」

 俺を見上げてくる悠の背中を押すと、悠は恐竜の声がするおもちゃやぬいぐるみやパズルなど、色々見たり手に取りながら迷っている。行ったり来たりしたあげく、悠はステゴサウルスのぬいぐるみを持ってきた。

「いい?」

 じっと見上げてくる悠の頭を撫でた。

「もちろん」

 会計を済ませて、悠に袋を手渡すと、袋の中を何度ものぞきながら嬉しそうに顔をほころばせた。

 こんなに喜んでくれるなら、もっと早く来れば良かったな。
 雨の中、傘を差して駐車場に置いてある車に移動した。車の座席に座って地図を見た。

「雨も止みそうにないし、今日は公園じゃ遊べなそうだな。どうすっか。先にメシにするか…」

 そう声をかけて顔をのぞきこむと、いつもより悠の顔が赤い。さっきは博物館に興奮しているのかと思った。だけどぼうっとした表情だし、何か違うような……

「……お前、もしかして熱があるんじゃ」

 悠のおでこに手を当てて自分のと比べると、すごく熱い。

「やっぱ熱あるじゃんか。他にどっか調子悪いところあるか?」

 悠は力なく、首を何度も振った。

「だいじょうぶ。がまんできるよ。ごはんに行こう」
「ばっか!んなこと言ってないで。とりあえずうちに帰るぞ」
「やだ…」

 涙目で悠は首を振った。

「悠。また来たかったらいつでも来れるから」
「やだ…やだ」

 悠が珍しく譲らない。普段のわがままだったら嬉しいけど、今はそんなこと言ってる場合じゃない。

「車出すから。ちゃんとシートベルトして」
「やだ」
「悠……。どうしてそんなに嫌なんだ?」

 車のエンジンを入れながら、悠に尋ねた。悠は熱でぼうっとした顔で呟いた。

「だって…陽介が死んじゃったら、もう行けないでしょ」
「は?」

 言っている意味がよくわからない。

「お母さんと約束したのに、どこにも行けなかった。だから…陽介も死んじゃったら」
「死なねえよ、俺は」

 とっさに口にした。死なないなんて保証はできないし、いつか死んでしまうだろうけど。だけど、そう言わずにはいられなかった。

「悠をもう悲しい目に遭わせないし、お前が笑っていられるようにって思ってるから。だから、自分のうっかりとかでは絶対に死んだりしないから。ちゃんと気をつけて、先輩の分まで…お前の母さんの分まで、俺は生きるから」

 そう言葉にしてから気がついた。小西先輩が死んでしまって、いつまでも自分の中で消化しきれない想いがあった。なんで先輩が死ななくちゃいけなかったんだって。
 悲しさとか悔しさが胸の中でグルグルと渦巻いて、先輩が実家から拒絶されてる姿が思い出されて、拒絶されなければあんなことにはならなかったんじゃないかとか、考えてもどうしようもないことを何度も何度も考えてしまった。

 だけど先輩が亡くなってしまうなんて誰にも想像できないことで、きっと誰にもどうしようもないことだったんだって思うしかない。悲しくても先輩の死を受け入れるしかないんだって。悠が母親の死を受け入れて自分の人生をしっかり歩んでいるんだから。大人の俺にできないはずはない。

 悠を悲しませたくない。悠に笑顔でいてほしい。そのためにも、自分のためにも、自分の人生をちゃんと生きて、先輩に俺たちの成長を見守っていてほしいって思うんだ。
 悠の頭をくしゃくしゃと撫でた。

「大丈夫、俺、よくつっかかって転ぶけど、身体は丈夫だから。な、悠がちゃんと元気になったらまた来よう。これからも色んな所に行って、いっぱい思い出を作ろうな」
 そう伝えると、悠はしばらく黙った。やがて小さく頷いた。


 悠に毛布をかけると、うとうととしていた悠はやがて寝息を立て始めた。
 ひとり黙って帰りの運転をした。
 忘れかけていたけど、悠は心に大きなキズを負っている。父親に去られたキズ、大好きな母親に死なれたキズ。そのキズはそう簡単に癒やせるものじゃない。むしろこれからもたびたび思い出しては痛みを感じて生きることになるだろう。

「お前のこと、いっぱい笑顔にするからな」

 想いがこみ上げて、寝ている悠にそう呟いた。
 受けた傷を癒やすことはできないかもしれないけど、それ以上の楽しいことや嬉しい思い出を作ってやりたい。改めて決意をして、家路についた。

 うとうとしている悠の脇に温度計を挟ませて計ると、38度の熱があった。母さんに電話して聞いてみたら、子どもが興奮しすぎて熱を出すことはしょっちゅうあるので、消化の良いものと水分を摂らせてゆっくり休ませて、次の日まで熱が下がらなかったら病院に行った方が良いとのことだった。
 途中のスーパーで買ってきたおかゆとプリンを食べさせて、氷枕を敷いて布団に寝かしつけた。だけどなかなか悠が眠らない。

「どうした? 眠くないのか?」

 悠は黙って俺の服の裾をつかんだ。もしかしたら心細いんだろうか。

「大丈夫だって。今日はずっとうちに居るから」

 悠の頭を撫でると、悠は俺を見上げた。

「なにかお話して」
「え…?」

 布団の中でじっと俺の目を見ている。
 俺の声を聞いていれば安心するんだろうか。

「えーっと、じゃあ最近の職場で聞いた話な。三井さんちのお子さん、下の子が小学6年生で…」

 一緒に寝そべりながら三井さん家のほのぼのエピソードを話していると、悠はしだいに目をとろんとさせて、やがてまぶたを閉じた。すうすうと小さな寝息が聞こえてくる。

「ゆっくり休めよ、悠」







 翌日になると悠はすっかり良くなった。仕事に行って三井さんにそのことを話すと、三井さんは頷いた。

「うちの子もそうだった。楽しみにしていることがあるとすぐ知恵熱が出ちゃうのよねえ。熱が出ても子どもはテンションが上がってて帰りたくないって駄々こねちゃって。あやすのが大変だったわ」
「それだけ一緒に出かけるのが嬉しいんでしょうね。俺ももっと思い出作りしなくちゃなってちょっと反省でした」
「いつでも行けるって思うとどうしてもね。まあ、この辺の親子向けスポットだったらひと通り行ってバッチリ把握してるから、行きたい時はいつでも頼ってちょうだい」

 胸を張る三井さんに「よろしく頼みます」と言っていると、胸ポケットの中のスマホが振動した。悠になにかあった時のために携帯させてもらっている。慌てて「三井さん、ちょっとすいません」と断って受付カウンターから移動して、お客様から見えないスタッフルームに移動した。
 見ると電話がかかってきていた。見覚えのない市内の番号だ。

「もしもし」

 出ると、聞いたことのある低くて渋い声がした。

『八十稲羽警察署の堂島だ』
「ああ、堂島さん」

 たしか髭の濃い、渋い方の刑事さんだ。小西先輩の死について、なにか進展があったんだろうか。思わず握っていたスマホに力がこもる。

『仏さん…小西早紀の死因について、断定された。落としたものを探していて、トラックに気がつかなくてそのまま轢かれたようだ』
「落としたもの?」


 仕事が終わってから警察署に行って、堂島さんから小西先輩の「落とし物」を受け取った。
 それは小西先輩と、悠と、俺よりちょっと年上っぽい男が三人で一緒に映った写真だった。男はきっと悠の父親だろう。笑顔で悠に寄り添っている先輩。それに対して無表情の男。

「発見が遅くなってしまってすまない。どうやら仏さんの手帳から風に飛ばされて側溝に落ちていたらしい。近隣住民が清掃した際にそれを拾い、俺が聞き込みしていた時に回収したんだ」
「そうですか…」

 証言した人が「ぼうっとしていた」ように感じたのは写真を探してうつむいていたからだったと聞いて、胸にストンと収まる音がした。
 先輩は自殺じゃなかった。複雑な想いを抱えていたとしても、悠のことを大切にしていたのは真実で、ちゃんと生きる意思があったんだ。 思わず写真を掴む指に力がこもる。
 先輩にとってこれは無くしたくない大事な写真だったのかもしれない。だけどまさか自分が命を落とすとは思ってもいなかったのだろう。

「雨や霧、仏さんも疲れていたようだったし、トラックもややスピードオーバーしていた。色んなことが積み重なって起こってしまった不幸な事故だったと思う。今回は自殺ではなく、事故として処理される。仏さんの息子にもそう伝えてくれるか?」

 どう伝えたら良いものか。写真を見ながら考えた。まだ先輩の死から一年だ。

「子どもはそんなに弱くないぞ」
「え?」

 思わず顔を上げた。堂島さんが笑っている。

「俺にも高校生の娘がいるんだ。母親はまだあいつが幼い頃にひき逃げに遭ってな、俺ひとりで育ててきたんだ。…まあ、仕事人間の俺に『育てた』なんて言える権利があるのかわからないがな。案外たくましく育っているぞ」
「そう…ですか」

 堂島さんも色々な苦労をしているんだな。それにその女の子も。

「ありがとうございます。悠にこの写真を渡して、ありのまま伝えてみます」
「ああ。しっかりやれよ」

 背中をバーンと叩かれて、現役刑事の力強さに思わずむせてしまった。




 家に帰ると、悠にその写真を渡して、先輩の死因について聞いたことをそのまま話した。
 悠は受け取ると、写真をじっと見つめた。

「お母さん…僕のせいじゃないの?」

 小さな声で尋ねられ、言葉の意味がわからず、悠の表情を伺った。
 真剣な瞳で俺をじっと見上げた。

「お母さんが死んじゃったのは僕のせいじゃない?」
「は…? んなわけあるかよ! んなこと、誰かに言われたのか?」

 悠は首をふるふると横に振った。

「あのね、ずっと思ってたんだ。お母さん…ぼくのためにいっぱいはたらいて、つかれて死んじゃったのかなって」

 違うの? そう問いかけられて「当たり前だろ」と悠の前に膝をついた。
 亡くなった当時にもし同じことを問いかけられたら、先輩の気持ちがわからなくて言葉を濁していたかもしれない。
 だけど、悠と一緒に暮らして悠のことをたくさん知って、そして先輩が亡くなった経緯を聞いた今ならはっきりと言える。

「お前の母さんはこの写真がとても大切だったから探していたんだろ? 悠のことが大好きだったから、その写真も無くしたくないくらい大事だったんだよ。それにお前の母さん、俺に言ったよ。『悠の笑顔を見たら疲れがふっとぶ』って」

 悠の目を見てそう伝えると、悠は口元を歪め、ぽろぽろと涙をこぼした。

「ぼく…お母さんにずっと、ごめ、ごめんなさいって思ってて……なのに、お母さんの顔、だんだん思い出せなくなっちゃって…わすれたく、ないのに……っ、」

 そう泣き出して、不意に思い出した。先輩の葬式の時、悠が小さい声で何か呟いていたのを。あの時、悠はこう言ったんだ。「お母さん、ごめんなさい」と。
 ずっとそんな罪の意識を抱えて自分を責めていたのか。ずっと一緒にいたのに気づいてやれなくて、無性に自分に腹が立った。
 自分への腹立ちをひとまず押さえて悠に伝えた。

「謝る必要なんてないんだ。誰のせいでもない不幸な事故だったんだ。お前の母さんはお前が大好きだったよ」

 ぐずぐずと鼻をすすっている悠の頭を撫でて、抱きしめた。先輩、もっと生きたかっただろうな。こうして悠のこと、もっと抱きしめたかっただろうな。思わず抱きしめる手に力がこもってしまう。いつも淋しさや悲しさをガマンしてこらえてきた分、涙を流させてやりたい。その背中を何度も何度もさすった。



 悠に温かいココアを飲ませてから尋ねた。

「悠。もしお母さんのこと、思い出して辛かったら、写真は俺が預かるけど。どうする?」

 悠は首を横に振った。

「お母さんの顔、思い出したいから」

 そう言われて「わかった」と頷いた。確かに葬儀で先輩の身につけていたものはすべて棺に入れられてしまったし、悠の手元に先輩の遺品がひとつもない。

「じゃあ今度写真立てを買っておくな」

 だけど悠は首を横に振った。

「時々、見たい時だけ見るから、いいよ」
「そっか…」

 それ以上なにも言えなくて、ただ頷いた。悠はその写真を持って、自分の学校の道具が置いてある場所に座った。





 その後、ずっと後になってその写真を見ることになるのだが、それまでまったく気がつかなかった。
 悠がその写真の父親の部分だけを破り捨てていたことに。


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