主丸「ホワイトデーの可愛いひと」
2025/03/14(Fri)20:27
前回の「バレンタインのキスは甘く」のつづきでホワイトデーの話を書きました。
主人公(暁 透流)とモルガナと丸喜が一緒に暮らしている設定です。
一泊旅行なので前回よりちょっと話が長めです。
本文はつづきリンクからどうぞ。
渋谷から横浜へ、横浜から踊り子号で熱海へ。
そうしてたどり着いた場所は東京と変わらない程混んでいた。
駅前に足湯があるけれど、混んでいて当分入れそうにない。
「すごい人だね」
「ああ。初めて来た」
「僕も実は初めてなんだ。とりあえず宿に荷物を預けに行こうか」
スマホを見ながら俺がナビして、その隣を丸喜が歩いた。
アーケード商店街を通るようだ。坂をすこし登るような感じで店がぎっしりとつまっている。
「お土産屋さんがいっぱいあるね!」
ひものや金目鯛を売ってる店、お茶屋、怪しげなブレスレットや水晶を売ってる店、海鮮丼が食べられる店、その場で食べられるデザートが売っている店もある。レトロなカフェも点在している。
「人が多いのは東京と同じだけど、ここは観光で賑わってるって感じがするな」
そう伝えると、丸喜が「そうだね」と嬉しそうに笑った。
今日は完全に丸喜が計画してくれた旅行で、行き先も「着いてからのお楽しみだよ」と言われて、到着してから熱海だとわかった。
2人の休みの都合でホワイトデー当日とはいかなかったが、バレンタインのお返しの旅行だ。いつもどこかへ行きたいと提案するのは俺の方だったので、丸喜から誘ってくれるというだけで嬉しい。
丸喜はモルガナのことも考えて最初はペットも泊まれる宿を探していたらしいけど、モルガナに「デートなんだからふたりで行って来いって」と同行を断られた。それを受けて丸喜が惣次郎にお願いしたので、今頃モルガナは佐倉家で惣治郎にいいものを食わせてもらったり双葉に遊ばれたりしているだろう。
「あ、温泉まんじゅうが蒸されてるね。いいにおいだなあ」
「食べてみる?」
「そうだね。せっかくだし」
店員に「2個ください」と伝えてスマホ決済し、紙で挟まれたまんじゅうを受け取った。
「はい」
丸喜の口元へひとつ差し出す。
「うん……。いただきます」
丸喜は何か言いたそうな顔をしながらも俺の手ずから食べてくれた。もう一個を自分の口に入れる。小麦の香りと温かいあんこの甘みが口に広がる。いつものまんじゅうとは別のものみたいだ。
「温かいおまんじゅうって不思議な感じ。でもおいしいね」
「うん。お茶が飲みたくなるな」
「お茶の試飲もございますよ。いかがですか~」
隣のお茶屋の店員がタイミングを図ったかのように試飲のお茶をすすめてきた。すすめられるまま丸喜が湯飲みを手に取った。買わなくちゃいけなくなるかなと警戒しつつ俺も手にとる。
「わあ。お茶も良い香りだ!」
「ああ。美味しい」
丸喜が買おうかどうか迷っている。
「丸喜、買うなら帰りにしよう。荷物が増える」
「あ、そうだよね。すいません。また帰る時に来ます」
店員さんも「はい。またのお越しをお待ちしてますー!」と感じよく湯飲みを受け取ってくれたので、ほっとした。
「まだ来たばかりなのにあちこち目移りしちゃうね」
「ああ」
散策はほどほどにして、商店街から路地に入ったところにある旅館に荷物を預けた。
外観が古くて昭和に建てられたらしい雰囲気のある感じの温泉旅館だ。眺めは今イチだけどレトロな施設が今も残っているのが売りだそうだ。俺からすると新鮮だが丸喜からすると懐かしいらしい。
軽装になったところで丸喜が尋ねた。
「透流君、疲れてない?」
「いや。テンション上がってきて今ならどこでも行けます」
そう伝えると丸喜は目を丸くした。
「そっかあ。若いね」
「丸喜は疲れた?」
「僕は大丈夫だよ」
そういう言い方をする丸喜は信用ならない。昨日も夜遅くまで仕事だったし、電車でもウトウトしていた。疲れが残っているんだろう。
「じゃあ休憩もかねて駅前にあった足湯に入りに行かない?」
「あ……うん」
駅前へと歩きながら、丸喜のすっきりしない横顔を振り返る。
「それとも丸喜、どこか行きたいところがあった?」
丸喜は手で頭を掻いた。
「いや。いくつか提案を考えていたんだけど、先を越されちゃったなって思ってね」
つい、いつものように行きたいところを提案してしまった。けれど丸喜から俺へのホワイトデーのお返しだったことを思い出した。
「じゃあ足湯に入りながら丸喜のおすすめを教えてくれるか?」
「うん」
ちょっとうなだれた感じで丸喜が頷いた。
「……僕、透流君のようにスマートにはいかねいね」
「そんなの気にしなくて良い。それより」
丸喜の手に指を絡めた。
「せっかくのお泊まりデートなんだから楽しんだもの勝ちですよ。丸喜の我が儘が俺は嬉しいし俺もしたいことがあったら言うから。おすすめとか聞かせてください」
丸喜はくすぐったそうな顔で笑みを浮かべた。さっきより顔が晴れやかだ。
「やっぱり君にはかなわないなあ」
「ほら、ちょうど足湯も空いてきましたよ」
「うん」
元気をとりもどした丸喜が笑ってくれて、それだけで俺の心は満たされた。丸喜と一緒ならどこへ行ったって楽しいに決まっている。
その後、足湯に入りながら観光したい場所と順番を決めて、チェックインの時間になったので手続きを済ませて部屋に入った。
12畳の落ち着いた和室だ。テーブルの上にお茶と茶菓子のセットが置かれている。
「大浴場は温泉なんだって。あと卓球台もあったから後で遊ぼう!」
「うん」
うきうきした様子の丸喜にこっちまで笑みが浮かんでくる。
夕食までまだ時間があるから混む前に温泉に入ってしまおうと、部屋にある浴衣を身につけていく。
「準備できたよ」
浴衣姿の丸喜を見るのは初めてだ。なんだかグッとくるものがある。それにしても浴衣の前がはだけすぎているのがどうしても気になる。かがんだ時にに乳首が見えてしまいそうで目のやり場に困る。
「……丸喜、ちょっと」
着付けを直してあげた。カウンセラーの時もドライバーになってからも丸喜の襟元はどうしてこうゆるいのか。
「あれ、変だったかな? ありがとう」
「いや……俺が気になっただけ」
せっかくの旅行中に小言を言うのは水を差すことになるだろうから本音はあえて言わなかった。
「そう? じゃあ行こうか」
大浴場に行くとまだ誰も入っていないようで貸し切り気分だ。大きな風呂とサウナと外気浴ができる露天がある。
「わあ、広くて気持ちいいね!」
「お背中流しましょうか」
洗い場のイスに座って冗談めかしてウインクすると、ちょっと顔を赤くした丸喜が「うん」と頷いてくれた。
丸喜の背中側に立つと俺を意識してるのか、少し緊張をのぞかせている。そんな風に意識されるとこちらもスイッチが入ってしまうんだが。可愛い顔をあえて見ないように意識してお湯をその背中に流す。
「さすがに公共の施設でそういうことはしませんよ」
ボディタオルに泡をたっぷり含ませて背中に擦りつける。
「うん。でもやっぱり意識しちゃうよ。君の裸を見ちゃうと」
鏡越しに丸喜が俺を見ているのに気がついた。その熱い眼差しが心地良い。
「そんな目で見られたら俺も勃っちゃいますよ」
そう密やかに告げたところで、他の客が大きな音を立てて引き戸を開けて入ってきた。
思わず咳払いして丸喜の背中を流すと、隣に移って自分の身体を洗い始めた。
丸喜も苦笑いしながら髪の毛を洗い始めた。
サウナがあったのでふたりで入った。熱いのを我慢しているとじわじわと汗や脇、背中から汗が出てくる。
10分経ったのでつめたい水風呂に我慢して入った。温度差がすごいので特に丸喜は声を上げながら震えている。ちょっとだけ肩まで浸かってすぐに出た。そして風呂場に置いてあるイスでしばらく休憩をした。
「はあ……頭の中がふわーっとする……これが『ととのい』っていうのかな」
「気持ちいいですね……」
2,3回繰り返した方がより効果が高まるということで、ふたたびサウナに入って、水風呂、のち休憩を繰り返した。
その後に温泉に入ると肌がツルツルになって身体もポカポカになってきた。
「すごい。肌がいつもよりツルツルだ」
丸喜の顔に触れて確かめると、確かにいつもより触り心地がふわふわモチモチで気持ち良い。なんだかモチみたいに食べたくなるほっぺただ。指で触るのを止められない。
「本当だ」
丸喜がなぜか照れている。
「ふ、普通は自分の肌で確かめるものだと思うよ……」
「そうか?」
「もう……」
温泉に浸かったままお互い会話らしい会話もなくただ全面ガラスの向こうにある庭の草木や青空を眺めながらぼうっと湯に浸かった。
湯から上がって浴衣を身につけていると、丸喜が牛乳ビンの自動販売機の前に立っている。
「コーヒー牛乳を飲もうかな。君は何が飲みたい?」
「そうだな……俺も同じので」
丸喜が俺の分も買ってくれた。牛乳瓶を差し出されて、蓋を開けると一緒にゴクゴクと飲む。ああ、やっぱり風呂上がりのコーヒー牛乳は最高だ。
「丸喜、マッサージ機もあるぞ」
「うん。やろう!」
2台あったので、それぞれマッサージ機に乗って全身をほぐす。ここまでフルコースで癒すと、この後に夕食の時間まで出かける予定をふたりで考えていたのだけど、もうこのまま部屋で休んでいたいという気持ちがまさる。
「丸喜……この後どうする……?」
「なんか……もうこのまま部屋で休みたいかも……」
「俺もだ……」
ふたりで部屋に帰ると備え付けられていたお茶菓子やお茶を軽く口にし、畳の上に寝そべってうたた寝し、のんびりと過ごした。
「畳の部屋もいいものだな」
「うん。実家に帰った感じがして落ち着くよねー」
「なんかこんなにダラダラしていていいのかなって思えてくる」
すると仰向けになっていた丸喜がごろんと身体を反転し、こちらを向いた。
「幸せって案外こういうものかもしれないね」
湯上がりの少し乱れた髪、浴衣から覗く火照った肌。穏やかに微笑んでいる。
丸喜の言葉に頷いた。
「そうだな」
ゆっくり休んだ後、夕食の時間になったので宴会場に移動した。団体ごとにテーブルがセッティングされている。
すでにご飯と汁物以外は並べられている。刺身や金目鯛の煮付けが美味しそうだ。天ぷらは桜エビやごぼうが入ったかき揚げだ。他にも地元産生わさびが添えられたステーキ肉もあって、小鍋の中に静岡おでんまである。茶碗蒸しやデザートのオレンジも美味しそうだ。どれから食べようか目移りしていると仲居さんがご飯が入ったおひつを持ってきた。
「お飲み物はどうされますか?」
メニューを見て「じゃあオレンジジュースを。丸喜は?」「僕はウーロン茶をおねがいします」とそれぞれ頼んだ。
「ビール、頼まないのか?」
「うん。料理をちゃんと味わいたいからね」
「そうか」
そう会話しているうちにすぐビンに入った飲み物を持ってきてくれた。それぞれコップに注いで乾杯した。
「それじゃご馳走になります」
「うん。いただきます!」
ご飯を食べ終わると、宴会場を後にした。
「うう……お腹パンパン」
どれも美味しかったが、いかんせん食事の量が多かった。濃い目の味付けでご飯もいつもより美味しく感じるからつい何杯もおかわりしてしまった。俺も丸喜も重い腹を抱えた。
「美味しいからつい食べ過ぎちゃった」
「俺も……」
ふたりで土産コーナーをひやかし、卓球台が空いているので食後の運動がてらふたりで卓球した。
丸喜の球は右に左に飛んで懸命に返すが、台に球が返ってこないことの方が多い。
「丸喜……台に球を返してくれないとさすがに返せないぞ」
「ご、ごめんね!」
返すのに必死で卓球らしい卓球ではなかった。ほとんど動いてない丸喜もなぜか汗をかいている。
「うーん。お腹いっぱいで身体が重いね。そうじゃなかったら最高潮の僕のプレイを見せられるのに」
「ふっ……最高潮の丸喜……見てみたいですね」
「ちょっと、笑いをこらえてるでしょ!」
その後、お腹いっぱいのままでは眠れないから、腹ごなしに外を散歩することにした。そのままだと寒いので部屋に戻って私服に着替え直した。特に目的の場所はなかったのでぶらぶらと街を散策した。
東京は夜遅くまで店が開いているが、こちらは居酒屋以外はそうでもないようだ。個人商店などはぼちぼち閉まり始めている。
「昼間の賑わいも楽しかったけど、夜のこういう少し落ち着いた雰囲気もなんだかいいね」
「ああ」
丸喜の方から手を繋いできた。嬉しくて指と指を絡めてしっかりと繋ぎ直した。
坂の下まで降りると分岐になっている。
マップで確認すると左に行くと商店街があり、右に行くと海岸沿いの道につながっている。
なんとなくふたりで海辺を歩きたいと思った。
「海の方に行ってみない?」
丸喜の方から提案され、同じ気持ちだったことが嬉しくて思わず大きく頷いた。
ふたりで海辺の砂浜を歩いた。月が出ているからかそんなに暗くは感じない。天気が良くて星空が拡がっている。
「うーん。風が気持ち良いね」
「寒くない?」
「東京よりはこっちの方が暖かいし平気だよ!」
丸喜は楽しそうに繋いでない側の手を大きく広げた。
「ふふ。踊り出しそうだ」
「踊ってみる?」
わくわくした顔つきをしている丸喜に誘われるまま、腰を落として恭しく手に取ってダンスに誘うポーズをとる。社交ダンスのイメージで丸喜の腰を支えてくるくる回る。このフォームで合っているかわからないが楽しいので違っていても気にならない。
「あはは。僕が女性役?」
「いつだって丸喜を支えたいから」
「透流くん……わっ」
砂に足をとられた丸喜が後ろに転んだ。それを支えようとしたが足が引っかかって俺までもつれて転んでしまう。
「ふ……あはは」
「丸喜、大丈夫か?」
顔を覗き込んだが、おかしそうに笑っている。
「君まで転ばせちゃったね」
その悪戯っぽく顔を傾けて笑う顔に見とれる。さっき風呂上がりに部屋で丸喜を見た時にも思った。俺の前でリラックスし、くだけた感じで笑ってくれる。そんな丸喜が愛しい。
丸喜の目を見て言った。
「ずっと。……ずっと傍にいてほしい」
そう自然と口にしていた。
言葉にしてから気がついた。まるでプロポーズみたいだ。もちろんずっと前から思っていたことだった。けれどそれを直接言葉にして伝えたことはなかった。
言うタイミングがあったらいつか伝えたいとは思っていた。けれど丸喜に重いと思われたくなかった。今、このタイミングで言って本当に良かっただろうか。胸が早鐘のように鳴っている。
丸喜は目を大きく見開いた。口も開きっぱなしになっている。
丸喜はまっすぐに俺を見た。
「うん」
「うん……って、OKって意味ですか?」
「ほ、他にないよ……」
照れているのか丸喜が困り顔をしている。その顔が可愛くて、ぎゅっと抱きしめた。嬉しすぎて、テンションが上がりすぎて丸喜の腰を抱えて持ち上げた。
「わっ……重たいでしょ」
驚いた丸喜が声を上げた。クルクルと丸喜を回して、ひとしきり満足すると丸喜を下ろして再び抱きしめた。
抱きしめた背中が自分と同じくらいドキドキいってるのがわかる。
すると、丸喜も俺の背中を抱きしめた。
「僕もずっと思っていた。……君の傍にずっといたいって」
そう密やかな声で告げてくれた。嬉しくて、抱きしめる腕に力がこもる。
「く、苦しいよ……っ」
「……悪い」
慌てて力をゆるめた。ゆるめたついでに丸喜の顔を見た。丸喜は穏やかに微笑んでいる。けれど気恥ずかしいのか頬は赤いし睫毛を伏せている。
「あはは……なんだか照れるね」
「丸喜」
声をかけるとやっとこっちを見てくれた。
愛しさがこみ上げて、額をコツリとくっつけた。そして唇にしっとりと口づけをした。
丸喜はゆっくり目を瞑って応えてくれた。が、すぐに何かを思い出したように目を開いた。
「あ、そうだ! これ渡そうと思ってたんだ」
このムードを察しないで次の会話に飛ぶのが丸喜らしい。つい横を向いて息を吐いた。
丸喜がバッグの中から何かを取り出した。
「はい。君にホワイトデーのお返し」
「これは……」
小さな紙袋に入っているものを取り出すと、それはクッキーだった。
「もちろん旅行代も出すけどね。ホワイトデーらしいものもあげたいなって思って用意したんだ」
「……前にもクッキーもらいましたね。保健室で」
「そうだったね。懐かしいなあ」
あれから色んなことがあった。その積み重ねがあって今がある。
「あ、でもお腹いっぱいでしょ。持って帰って好きな時に食べてね」
「ありがとうございます。大事に食べます」
「うん」
ふたりで笑い合った。
その後は丸喜がくしゃみをするまでふたりで肩と肩をくっつけて夜の海を眺めた。
翌日はパワースポットの大樹がある神社にお参りし、まるでパレスみたいに広い美術館を歩き、最後に文豪たちに愛されたという 歴史ある施設を見学した。途中で休憩がてらレトロな喫茶店に入ってクリームソーダも飲んだ。
「んー、いっぱい歩いたね」
さすがに疲れたのか丸喜は大きく伸びをしている。距離はそうでもないが急な坂を登ったり下ったりが多かったため、確かにすごく歩いた感じがある。
「それじゃモルガナ君や佐倉さんたちにお土産を買ってから帰ろうか」
「はい。名残惜しいけど」
そう伝えると、丸喜は顔を傾けてこちらを見た。
「僕のお返し、楽しんでくれた?」
「最高に楽しかった」
丸喜はふふっと笑った。
「良かった。僕も楽しかったよ。またどこかへ旅行に行こうね」
「はい」
駅前の商店街や駅構内でお土産選びをしながらふと疑問に思った。どうして丸喜は熱海の地を選んだのか。
お土産を買って、帰りの列車を待っている時にその疑問を隣の席の丸喜に投げかけた。
「ええとね。熱海が最近若者に人気だって聞いたんだ。……それに」
丸喜がめずらしく口ごもっている。視線で促すと、熱っぽい瞳でこちらを伺うように視線を投げかけてきた。
「その。昔はね、熱海に新婚旅行に行く人が多かったんだ。だからどうってわけじゃないんだけどね。君と一緒に行ったらそういう気分が味わえるんじゃないかって思ったんだ……」
尻すぼみに声のトーンが落ちていく丸喜は気恥ずかしそうに口元を押さえている。
「丸喜……!」
丸喜をぎゅっと抱きしめた。
「と、透流君、人前だよ……っ」
焦っている丸喜を困らせたくないからハグはやめて、代わりにその手を繋ぐことにした。だとしたら俺たちは今新婚旅行の帰りなんだ。そう思うと帰りの列車の時間も貴重に思えてくる。今思えば新幹線を使った方が早いのに、丸喜が買った切符は行きと同じ列車のものだ。
「新婚旅行の旅か……」
今まで列車はただの移動手段だと思っていたので早ければ早い程良いものだと思っていた。それをあえて景色の移り変わりを楽しみながらのんびり行く旅の良さをはじめて実感することとなった。
「新婚気分、味わえました?」
「うん。……君のおかげでね」
丸喜はふふと気恥ずかしそうに笑った。本当に可愛いひとだな。
ふたりで車窓から眺める海はいつもより鮮やかに見えた。
主人公(暁 透流)とモルガナと丸喜が一緒に暮らしている設定です。
一泊旅行なので前回よりちょっと話が長めです。
本文はつづきリンクからどうぞ。
渋谷から横浜へ、横浜から踊り子号で熱海へ。
そうしてたどり着いた場所は東京と変わらない程混んでいた。
駅前に足湯があるけれど、混んでいて当分入れそうにない。
「すごい人だね」
「ああ。初めて来た」
「僕も実は初めてなんだ。とりあえず宿に荷物を預けに行こうか」
スマホを見ながら俺がナビして、その隣を丸喜が歩いた。
アーケード商店街を通るようだ。坂をすこし登るような感じで店がぎっしりとつまっている。
「お土産屋さんがいっぱいあるね!」
ひものや金目鯛を売ってる店、お茶屋、怪しげなブレスレットや水晶を売ってる店、海鮮丼が食べられる店、その場で食べられるデザートが売っている店もある。レトロなカフェも点在している。
「人が多いのは東京と同じだけど、ここは観光で賑わってるって感じがするな」
そう伝えると、丸喜が「そうだね」と嬉しそうに笑った。
今日は完全に丸喜が計画してくれた旅行で、行き先も「着いてからのお楽しみだよ」と言われて、到着してから熱海だとわかった。
2人の休みの都合でホワイトデー当日とはいかなかったが、バレンタインのお返しの旅行だ。いつもどこかへ行きたいと提案するのは俺の方だったので、丸喜から誘ってくれるというだけで嬉しい。
丸喜はモルガナのことも考えて最初はペットも泊まれる宿を探していたらしいけど、モルガナに「デートなんだからふたりで行って来いって」と同行を断られた。それを受けて丸喜が惣次郎にお願いしたので、今頃モルガナは佐倉家で惣治郎にいいものを食わせてもらったり双葉に遊ばれたりしているだろう。
「あ、温泉まんじゅうが蒸されてるね。いいにおいだなあ」
「食べてみる?」
「そうだね。せっかくだし」
店員に「2個ください」と伝えてスマホ決済し、紙で挟まれたまんじゅうを受け取った。
「はい」
丸喜の口元へひとつ差し出す。
「うん……。いただきます」
丸喜は何か言いたそうな顔をしながらも俺の手ずから食べてくれた。もう一個を自分の口に入れる。小麦の香りと温かいあんこの甘みが口に広がる。いつものまんじゅうとは別のものみたいだ。
「温かいおまんじゅうって不思議な感じ。でもおいしいね」
「うん。お茶が飲みたくなるな」
「お茶の試飲もございますよ。いかがですか~」
隣のお茶屋の店員がタイミングを図ったかのように試飲のお茶をすすめてきた。すすめられるまま丸喜が湯飲みを手に取った。買わなくちゃいけなくなるかなと警戒しつつ俺も手にとる。
「わあ。お茶も良い香りだ!」
「ああ。美味しい」
丸喜が買おうかどうか迷っている。
「丸喜、買うなら帰りにしよう。荷物が増える」
「あ、そうだよね。すいません。また帰る時に来ます」
店員さんも「はい。またのお越しをお待ちしてますー!」と感じよく湯飲みを受け取ってくれたので、ほっとした。
「まだ来たばかりなのにあちこち目移りしちゃうね」
「ああ」
散策はほどほどにして、商店街から路地に入ったところにある旅館に荷物を預けた。
外観が古くて昭和に建てられたらしい雰囲気のある感じの温泉旅館だ。眺めは今イチだけどレトロな施設が今も残っているのが売りだそうだ。俺からすると新鮮だが丸喜からすると懐かしいらしい。
軽装になったところで丸喜が尋ねた。
「透流君、疲れてない?」
「いや。テンション上がってきて今ならどこでも行けます」
そう伝えると丸喜は目を丸くした。
「そっかあ。若いね」
「丸喜は疲れた?」
「僕は大丈夫だよ」
そういう言い方をする丸喜は信用ならない。昨日も夜遅くまで仕事だったし、電車でもウトウトしていた。疲れが残っているんだろう。
「じゃあ休憩もかねて駅前にあった足湯に入りに行かない?」
「あ……うん」
駅前へと歩きながら、丸喜のすっきりしない横顔を振り返る。
「それとも丸喜、どこか行きたいところがあった?」
丸喜は手で頭を掻いた。
「いや。いくつか提案を考えていたんだけど、先を越されちゃったなって思ってね」
つい、いつものように行きたいところを提案してしまった。けれど丸喜から俺へのホワイトデーのお返しだったことを思い出した。
「じゃあ足湯に入りながら丸喜のおすすめを教えてくれるか?」
「うん」
ちょっとうなだれた感じで丸喜が頷いた。
「……僕、透流君のようにスマートにはいかねいね」
「そんなの気にしなくて良い。それより」
丸喜の手に指を絡めた。
「せっかくのお泊まりデートなんだから楽しんだもの勝ちですよ。丸喜の我が儘が俺は嬉しいし俺もしたいことがあったら言うから。おすすめとか聞かせてください」
丸喜はくすぐったそうな顔で笑みを浮かべた。さっきより顔が晴れやかだ。
「やっぱり君にはかなわないなあ」
「ほら、ちょうど足湯も空いてきましたよ」
「うん」
元気をとりもどした丸喜が笑ってくれて、それだけで俺の心は満たされた。丸喜と一緒ならどこへ行ったって楽しいに決まっている。
その後、足湯に入りながら観光したい場所と順番を決めて、チェックインの時間になったので手続きを済ませて部屋に入った。
12畳の落ち着いた和室だ。テーブルの上にお茶と茶菓子のセットが置かれている。
「大浴場は温泉なんだって。あと卓球台もあったから後で遊ぼう!」
「うん」
うきうきした様子の丸喜にこっちまで笑みが浮かんでくる。
夕食までまだ時間があるから混む前に温泉に入ってしまおうと、部屋にある浴衣を身につけていく。
「準備できたよ」
浴衣姿の丸喜を見るのは初めてだ。なんだかグッとくるものがある。それにしても浴衣の前がはだけすぎているのがどうしても気になる。かがんだ時にに乳首が見えてしまいそうで目のやり場に困る。
「……丸喜、ちょっと」
着付けを直してあげた。カウンセラーの時もドライバーになってからも丸喜の襟元はどうしてこうゆるいのか。
「あれ、変だったかな? ありがとう」
「いや……俺が気になっただけ」
せっかくの旅行中に小言を言うのは水を差すことになるだろうから本音はあえて言わなかった。
「そう? じゃあ行こうか」
大浴場に行くとまだ誰も入っていないようで貸し切り気分だ。大きな風呂とサウナと外気浴ができる露天がある。
「わあ、広くて気持ちいいね!」
「お背中流しましょうか」
洗い場のイスに座って冗談めかしてウインクすると、ちょっと顔を赤くした丸喜が「うん」と頷いてくれた。
丸喜の背中側に立つと俺を意識してるのか、少し緊張をのぞかせている。そんな風に意識されるとこちらもスイッチが入ってしまうんだが。可愛い顔をあえて見ないように意識してお湯をその背中に流す。
「さすがに公共の施設でそういうことはしませんよ」
ボディタオルに泡をたっぷり含ませて背中に擦りつける。
「うん。でもやっぱり意識しちゃうよ。君の裸を見ちゃうと」
鏡越しに丸喜が俺を見ているのに気がついた。その熱い眼差しが心地良い。
「そんな目で見られたら俺も勃っちゃいますよ」
そう密やかに告げたところで、他の客が大きな音を立てて引き戸を開けて入ってきた。
思わず咳払いして丸喜の背中を流すと、隣に移って自分の身体を洗い始めた。
丸喜も苦笑いしながら髪の毛を洗い始めた。
サウナがあったのでふたりで入った。熱いのを我慢しているとじわじわと汗や脇、背中から汗が出てくる。
10分経ったのでつめたい水風呂に我慢して入った。温度差がすごいので特に丸喜は声を上げながら震えている。ちょっとだけ肩まで浸かってすぐに出た。そして風呂場に置いてあるイスでしばらく休憩をした。
「はあ……頭の中がふわーっとする……これが『ととのい』っていうのかな」
「気持ちいいですね……」
2,3回繰り返した方がより効果が高まるということで、ふたたびサウナに入って、水風呂、のち休憩を繰り返した。
その後に温泉に入ると肌がツルツルになって身体もポカポカになってきた。
「すごい。肌がいつもよりツルツルだ」
丸喜の顔に触れて確かめると、確かにいつもより触り心地がふわふわモチモチで気持ち良い。なんだかモチみたいに食べたくなるほっぺただ。指で触るのを止められない。
「本当だ」
丸喜がなぜか照れている。
「ふ、普通は自分の肌で確かめるものだと思うよ……」
「そうか?」
「もう……」
温泉に浸かったままお互い会話らしい会話もなくただ全面ガラスの向こうにある庭の草木や青空を眺めながらぼうっと湯に浸かった。
湯から上がって浴衣を身につけていると、丸喜が牛乳ビンの自動販売機の前に立っている。
「コーヒー牛乳を飲もうかな。君は何が飲みたい?」
「そうだな……俺も同じので」
丸喜が俺の分も買ってくれた。牛乳瓶を差し出されて、蓋を開けると一緒にゴクゴクと飲む。ああ、やっぱり風呂上がりのコーヒー牛乳は最高だ。
「丸喜、マッサージ機もあるぞ」
「うん。やろう!」
2台あったので、それぞれマッサージ機に乗って全身をほぐす。ここまでフルコースで癒すと、この後に夕食の時間まで出かける予定をふたりで考えていたのだけど、もうこのまま部屋で休んでいたいという気持ちがまさる。
「丸喜……この後どうする……?」
「なんか……もうこのまま部屋で休みたいかも……」
「俺もだ……」
ふたりで部屋に帰ると備え付けられていたお茶菓子やお茶を軽く口にし、畳の上に寝そべってうたた寝し、のんびりと過ごした。
「畳の部屋もいいものだな」
「うん。実家に帰った感じがして落ち着くよねー」
「なんかこんなにダラダラしていていいのかなって思えてくる」
すると仰向けになっていた丸喜がごろんと身体を反転し、こちらを向いた。
「幸せって案外こういうものかもしれないね」
湯上がりの少し乱れた髪、浴衣から覗く火照った肌。穏やかに微笑んでいる。
丸喜の言葉に頷いた。
「そうだな」
ゆっくり休んだ後、夕食の時間になったので宴会場に移動した。団体ごとにテーブルがセッティングされている。
すでにご飯と汁物以外は並べられている。刺身や金目鯛の煮付けが美味しそうだ。天ぷらは桜エビやごぼうが入ったかき揚げだ。他にも地元産生わさびが添えられたステーキ肉もあって、小鍋の中に静岡おでんまである。茶碗蒸しやデザートのオレンジも美味しそうだ。どれから食べようか目移りしていると仲居さんがご飯が入ったおひつを持ってきた。
「お飲み物はどうされますか?」
メニューを見て「じゃあオレンジジュースを。丸喜は?」「僕はウーロン茶をおねがいします」とそれぞれ頼んだ。
「ビール、頼まないのか?」
「うん。料理をちゃんと味わいたいからね」
「そうか」
そう会話しているうちにすぐビンに入った飲み物を持ってきてくれた。それぞれコップに注いで乾杯した。
「それじゃご馳走になります」
「うん。いただきます!」
ご飯を食べ終わると、宴会場を後にした。
「うう……お腹パンパン」
どれも美味しかったが、いかんせん食事の量が多かった。濃い目の味付けでご飯もいつもより美味しく感じるからつい何杯もおかわりしてしまった。俺も丸喜も重い腹を抱えた。
「美味しいからつい食べ過ぎちゃった」
「俺も……」
ふたりで土産コーナーをひやかし、卓球台が空いているので食後の運動がてらふたりで卓球した。
丸喜の球は右に左に飛んで懸命に返すが、台に球が返ってこないことの方が多い。
「丸喜……台に球を返してくれないとさすがに返せないぞ」
「ご、ごめんね!」
返すのに必死で卓球らしい卓球ではなかった。ほとんど動いてない丸喜もなぜか汗をかいている。
「うーん。お腹いっぱいで身体が重いね。そうじゃなかったら最高潮の僕のプレイを見せられるのに」
「ふっ……最高潮の丸喜……見てみたいですね」
「ちょっと、笑いをこらえてるでしょ!」
その後、お腹いっぱいのままでは眠れないから、腹ごなしに外を散歩することにした。そのままだと寒いので部屋に戻って私服に着替え直した。特に目的の場所はなかったのでぶらぶらと街を散策した。
東京は夜遅くまで店が開いているが、こちらは居酒屋以外はそうでもないようだ。個人商店などはぼちぼち閉まり始めている。
「昼間の賑わいも楽しかったけど、夜のこういう少し落ち着いた雰囲気もなんだかいいね」
「ああ」
丸喜の方から手を繋いできた。嬉しくて指と指を絡めてしっかりと繋ぎ直した。
坂の下まで降りると分岐になっている。
マップで確認すると左に行くと商店街があり、右に行くと海岸沿いの道につながっている。
なんとなくふたりで海辺を歩きたいと思った。
「海の方に行ってみない?」
丸喜の方から提案され、同じ気持ちだったことが嬉しくて思わず大きく頷いた。
ふたりで海辺の砂浜を歩いた。月が出ているからかそんなに暗くは感じない。天気が良くて星空が拡がっている。
「うーん。風が気持ち良いね」
「寒くない?」
「東京よりはこっちの方が暖かいし平気だよ!」
丸喜は楽しそうに繋いでない側の手を大きく広げた。
「ふふ。踊り出しそうだ」
「踊ってみる?」
わくわくした顔つきをしている丸喜に誘われるまま、腰を落として恭しく手に取ってダンスに誘うポーズをとる。社交ダンスのイメージで丸喜の腰を支えてくるくる回る。このフォームで合っているかわからないが楽しいので違っていても気にならない。
「あはは。僕が女性役?」
「いつだって丸喜を支えたいから」
「透流くん……わっ」
砂に足をとられた丸喜が後ろに転んだ。それを支えようとしたが足が引っかかって俺までもつれて転んでしまう。
「ふ……あはは」
「丸喜、大丈夫か?」
顔を覗き込んだが、おかしそうに笑っている。
「君まで転ばせちゃったね」
その悪戯っぽく顔を傾けて笑う顔に見とれる。さっき風呂上がりに部屋で丸喜を見た時にも思った。俺の前でリラックスし、くだけた感じで笑ってくれる。そんな丸喜が愛しい。
丸喜の目を見て言った。
「ずっと。……ずっと傍にいてほしい」
そう自然と口にしていた。
言葉にしてから気がついた。まるでプロポーズみたいだ。もちろんずっと前から思っていたことだった。けれどそれを直接言葉にして伝えたことはなかった。
言うタイミングがあったらいつか伝えたいとは思っていた。けれど丸喜に重いと思われたくなかった。今、このタイミングで言って本当に良かっただろうか。胸が早鐘のように鳴っている。
丸喜は目を大きく見開いた。口も開きっぱなしになっている。
丸喜はまっすぐに俺を見た。
「うん」
「うん……って、OKって意味ですか?」
「ほ、他にないよ……」
照れているのか丸喜が困り顔をしている。その顔が可愛くて、ぎゅっと抱きしめた。嬉しすぎて、テンションが上がりすぎて丸喜の腰を抱えて持ち上げた。
「わっ……重たいでしょ」
驚いた丸喜が声を上げた。クルクルと丸喜を回して、ひとしきり満足すると丸喜を下ろして再び抱きしめた。
抱きしめた背中が自分と同じくらいドキドキいってるのがわかる。
すると、丸喜も俺の背中を抱きしめた。
「僕もずっと思っていた。……君の傍にずっといたいって」
そう密やかな声で告げてくれた。嬉しくて、抱きしめる腕に力がこもる。
「く、苦しいよ……っ」
「……悪い」
慌てて力をゆるめた。ゆるめたついでに丸喜の顔を見た。丸喜は穏やかに微笑んでいる。けれど気恥ずかしいのか頬は赤いし睫毛を伏せている。
「あはは……なんだか照れるね」
「丸喜」
声をかけるとやっとこっちを見てくれた。
愛しさがこみ上げて、額をコツリとくっつけた。そして唇にしっとりと口づけをした。
丸喜はゆっくり目を瞑って応えてくれた。が、すぐに何かを思い出したように目を開いた。
「あ、そうだ! これ渡そうと思ってたんだ」
このムードを察しないで次の会話に飛ぶのが丸喜らしい。つい横を向いて息を吐いた。
丸喜がバッグの中から何かを取り出した。
「はい。君にホワイトデーのお返し」
「これは……」
小さな紙袋に入っているものを取り出すと、それはクッキーだった。
「もちろん旅行代も出すけどね。ホワイトデーらしいものもあげたいなって思って用意したんだ」
「……前にもクッキーもらいましたね。保健室で」
「そうだったね。懐かしいなあ」
あれから色んなことがあった。その積み重ねがあって今がある。
「あ、でもお腹いっぱいでしょ。持って帰って好きな時に食べてね」
「ありがとうございます。大事に食べます」
「うん」
ふたりで笑い合った。
その後は丸喜がくしゃみをするまでふたりで肩と肩をくっつけて夜の海を眺めた。
翌日はパワースポットの大樹がある神社にお参りし、まるでパレスみたいに広い美術館を歩き、最後に文豪たちに愛されたという 歴史ある施設を見学した。途中で休憩がてらレトロな喫茶店に入ってクリームソーダも飲んだ。
「んー、いっぱい歩いたね」
さすがに疲れたのか丸喜は大きく伸びをしている。距離はそうでもないが急な坂を登ったり下ったりが多かったため、確かにすごく歩いた感じがある。
「それじゃモルガナ君や佐倉さんたちにお土産を買ってから帰ろうか」
「はい。名残惜しいけど」
そう伝えると、丸喜は顔を傾けてこちらを見た。
「僕のお返し、楽しんでくれた?」
「最高に楽しかった」
丸喜はふふっと笑った。
「良かった。僕も楽しかったよ。またどこかへ旅行に行こうね」
「はい」
駅前の商店街や駅構内でお土産選びをしながらふと疑問に思った。どうして丸喜は熱海の地を選んだのか。
お土産を買って、帰りの列車を待っている時にその疑問を隣の席の丸喜に投げかけた。
「ええとね。熱海が最近若者に人気だって聞いたんだ。……それに」
丸喜がめずらしく口ごもっている。視線で促すと、熱っぽい瞳でこちらを伺うように視線を投げかけてきた。
「その。昔はね、熱海に新婚旅行に行く人が多かったんだ。だからどうってわけじゃないんだけどね。君と一緒に行ったらそういう気分が味わえるんじゃないかって思ったんだ……」
尻すぼみに声のトーンが落ちていく丸喜は気恥ずかしそうに口元を押さえている。
「丸喜……!」
丸喜をぎゅっと抱きしめた。
「と、透流君、人前だよ……っ」
焦っている丸喜を困らせたくないからハグはやめて、代わりにその手を繋ぐことにした。だとしたら俺たちは今新婚旅行の帰りなんだ。そう思うと帰りの列車の時間も貴重に思えてくる。今思えば新幹線を使った方が早いのに、丸喜が買った切符は行きと同じ列車のものだ。
「新婚旅行の旅か……」
今まで列車はただの移動手段だと思っていたので早ければ早い程良いものだと思っていた。それをあえて景色の移り変わりを楽しみながらのんびり行く旅の良さをはじめて実感することとなった。
「新婚気分、味わえました?」
「うん。……君のおかげでね」
丸喜はふふと気恥ずかしそうに笑った。本当に可愛いひとだな。
ふたりで車窓から眺める海はいつもより鮮やかに見えた。
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No.340|主丸SS|Comment(0)|Trackback