家族ごっこ7
2019/03/21(Thu)21:00
家族ごっこ7更新です。
ペルソナやテレビの世界がなく、事件も起こらなかった八十稲羽の数年後のお話。主人公(鳴上悠)が小西先輩の息子という特殊設定です。
離ればなれの展開は書いてる方も辛いですね;
素敵な表紙イラストは茶絣ぶみさん(user/1731387)に描いていただいています。いつも可愛いイラストに感謝です!
本文は下の続きリンクからどうぞー。
その日は夜遅くまで悠を捜したが見つからなかった。うちに待機してくれた親父に礼を言って家に帰してから、倒れこむように横になった。疲れていたけど目が冴えていて、ぜんぜん眠れない。
ひとりで泣いてないだろうか。辛い目にあってないだろうか。いや、しっかり者の悠のことだから、大丈夫なはずだ、きっと…。
そうやって目を瞑ったまま何度も思考のループを繰り返していた。
机に突っ伏してウトウトしているうちに、気がつくと朝日がカーテンの隙間から差し込んでいた。喉がいたくて、頭や身体も重たく感じて、最低なコンディションだ。だけど、悠を探さないと。それに仕事もある。そう思って起き上がった時だった。
携帯電話が鳴った。
学校の担任教師からだ。悠が見つかったのかもしれない。慌てて手に取ると、とんでもない話を聞かされた。
『父親から悠君を転校させると電話が入りました』
一瞬、何を言っているのか理解できなかった。
「父親って…………まさか、悠の?」
悠の父親はかつて小西先輩と悠の住む家を出ていったきり、音信不通だった。
小西先輩が亡くなった時に警察が小西先輩の携帯電話のアドレスから電話したが、その番号は解約済みのようで繋がらなかった。同様に戸籍をたどって父親の両親とコンタクトをとったが、実家とは縁を切っているようで現在の居場所や連絡先は結局わからず仕舞だった。
『ええ。こちらもいきなり父親と名乗られて、本当なのかと疑いました。ですが、証拠にと運転免許証の写真がメールで送られてきたんです。鳴上という名字もそうですし、何より顔立ちが悠君にそっくりで』
悠の父親の写真なら数年前に見たことがある。小西先輩が交通事故で亡くなった時に持っていたものだ。確かに悠の顔立ちとそのまま大人にしたような顔だった。
「だとしても保護者の俺に何も言わず、勝手に連れ去るなんて、おかしいでしょう」
『そうなんですが、親御さんが転校させるということでは学校としては何も言えず…申し訳ありませんが』
「その父親と連絡をとらせてください。ずっと音信不通で、こちらから連絡することができなかったんです。ちゃんと悠のことで話し合いたいので連絡先を教えてもらえませんか」
『すいません、プライバシーに関わることを先方の同意なしに教えることは…』
「だったら、せめて向こうと連絡をとっていただけませんか? 俺が会いたいので連絡してほしいと」
俺の連絡先を伝えて、重ねてお願いしたが、担任からは消極的な返事しかもらえなかった。
学校に悠の父親が虐待する可能性があることを伝えたが、曖昧に言葉を濁された。昨夜は真剣に向き合ってくれたのに、悠の転校が決まったとたんその態度は何だよ。もう自分の学校の生徒じゃないからなのか。無性に腹が立つ。
『すいません、そろそろ授業が始まる時間なので』
そう言われると、こちらも通話を切らざるを得なかった。
「くそっ」
今熱くなっても、どうにもならない。冷静になろうと務めた。とにかく今は悠の居場所をつきとめないと。
こうなったら、学校へ出向いて直接ダメ元でも頼んでみるか。
急いで着替えて、家を出ると学校へ向かった。すると、見知った人が家の前を掃除していた。悠の同級生の男の子のママさんだ。
「おはようございます。どうも昨夜はお騒がせしました」
「あ、いいえー…」
普段は噂好きのおしゃべりなママさんが、今日は何だか態度がよそよそしい。いつもだったらもっと悠のことで話題に食いついてきそうなのに。
「あ…ええっと、悠君、見つかったみたいですねえ。さっき学校からメールが入ってましたよ」
「ええ。でも、父親が突然現れて無断で連れ去ったんで。悠が見つかったらちゃんと話し合わないといけなくて」
そう言うと、なぜか口元をひきつらせ、困ったように笑っている。
「まあ、そうなんですか…。…ええと、大変ですね。でも、お父さんと暮らすのが一番なんじゃないですかー。ほら、やっぱり家族で暮らすのが自然って言うか」
濁すような言い方がひっかかった。それに何か急いでいたんだろうか。ママさんが会釈してすぐに行ってしまったので、首を傾げながらもとにかく学校に向かった。
父親は何で連絡もとらず、悠を連れ去ったんだろう。学校に照会してもらえれば、こちらとコンタクトはとれるはずだ。
少なくとも悠が事故に遭ったという可能性はなくなって、それだけはホッとした。ただ、小西先輩の話によると、父親は先輩や悠に当たり散らしていたという。もしかしたら今も悠が同じ目に遭っているかもしれない。そう思うとまだ安心はできない。
鮫川沿いを歩いている途中、今日のシフトのことを思い出した。ホテルに今の状況を伝え、もしかしたら今日は遅刻になるかもしれないことを伝えないと。通話が繋がると、一宮支配人が電話に出た。
「花村です。昨夜はお騒がせしました」
『大丈夫か? 声がひどいぞ』
「はは…すいません、あんまり寝てなくてこんな声で。実は悠のことなんですが」
もしかしたらホテルの方に悠が現れるかもしれないと思って、昨夜のうちに悠が行方不明になっていることは電話で伝えてある。
今現在の状況を伝えると、一宮さんから大きなため息がもれた。
『……なるほど、それでか。合点が行った』
「え…?」
『花村にはあえて伝えていなかったんだがな。最近ホテルの連絡先に投書が何通も来ているんだ』
一宮さんによると、複数のメールアドレスから似たような内容のメールが来ているらしい。「モデルの男の子が保護者に性的虐待を受けている。そんな従業員は解雇すべきだ」とか「子どもを働かせているホテルもグルだ。人権団体に訴えるぞ」とか俺やホテルを誹謗中傷するような内容が何通も来ていたらしい。
「誰が、そんな根も葉もない…」
『児童相談所に匿名の通報が入ったのも、直接的か間接的かはわからないが、おそらくその父親が原因だろう。お前が非難されれば、父親は悠君を引き取りやすくなる』
学校側が連絡先を教えてくれなかったのも、もしかして俺の悪い噂が流れているかもしれない。さっき会ったママさんの態度がおかしかったのも、悪い噂を聞いてのことだったのだろう。
無性に腹が立つ。
「なんで今頃…」
どうしてそんなことまでして悠を引き取りたいんだろう。大体、今まで放っておいたくせに、今頃になって引き取りたがるのも意味がわからない。身勝手すぎる。
だけど腹を立てるばかりではどうにもならない。努めて深呼吸した。
「…すいません、いつの間にかホテルの名前に傷つけるようなことになっていたみたいで」
『気にするな。お前のせいじゃない。もしそれで実際にホテルの経営に支障をきたすようなら、訴えられるのはその父親の方だ』
「一宮さん…俺のことを信じてくれるんですね」
『部下のことを信頼しないで仕事が任せられるか。それにまあ、花村が女好きだってこともよく知っているしな』
「ちょっ、感動しかけたのに、それ言っちゃいます?」
電話の向こうで一宮さんが笑っているから、つられて俺も笑いがこみ上げた。酷い噂を流すヤツも、それを鵜呑みにする人もいる。だけど、俺と悠とのことをわかってくれる人だっている。それだけで心が晴れてきて、また頑張ろうって力が湧いてくる。
「もし弁護士に相談したいなら、うちの系列の専属弁護士に家庭問題に強い人を紹介してもらうぞ」
そう言ってもらえて、本当に心強い。
「ありがとうございます。もしかしたらお願いするかもしれません」
こんな風に助けてなってくれる人もいる。一人でもがくより、もっと周りに助けを求めた方が悠を助けられるかもしれない。
頭を振って、もう一度、冷静に考えてみた。
今、学校に行ったとしても対応は変わらないように思える。自分だけでこの問題は簡単に解決できそうにない。だとしたら…
「…とりあえず俺、警察と児童相談所に相談してみます」
『ああ。昨日はずっと捜して疲れているだろう。今日も何かあったらすぐ動けるよう、欠勤にしておくからな』
「お気遣いありがとうございます、でも…」
そんなひどい声でお客様の対応をするつもりかと言われ、ぐうの音も出なかった。有り難くその気遣いを受け取って、今日は一日休ませてもらうことにした。
さっそく堂島さんに連絡をとり、状況を伝えて相談すると、堂島さんは「父親とまずは連絡をとることが肝要だな」とすぐに状況を飲み込んでくれた。
『たとえ親権のある父親でも、一緒に住む者の同意なく連れ去る場合は誘拐に相当する。学校側には俺が行って情報を開示してもらう』
内心、身内間の争いだから警察には介入できないと言われてしまうかもと思っていた。だから、力強い声でそう言ってもらえてほっとした。
「昔、先輩…悠の母親に父親のこと、聞いたんです」
昔、小西先輩から聞いたことをそのまま伝えた。自分の事業がうまくいかず、小西先輩や悠に当たり散らしていたということを。もしかしたら言葉の暴力だけじゃなくて、実際に暴力も振るわれたんじゃないかって悪い想像ばかりをしてしまう。
「俺の考えすぎだったら良いんですけど。できるだけ急いでもらえませんか。お願いします…!」
『そうか…わかった。すぐに対応する』
通話を切ると、この前うちに来た児童相談所の田村さんに連絡した。悠が昨夜いなくなって、父親に連れ去られたことを話すと、意外にも驚いた感じはしなかった。
『虐待の通報があった時、電話の声が男性だったんです。それに元家族が連れ去ろうとするケースは決して少なくはないものですから、もしかしたら父親からの通報じゃないかとは思っていました』
「そうだったんですか…」
『すいません、その可能性があることを花村さんに伝えていれば、こんなことには…それに悠君と面談した時の反応で、父親から虐待を受けていた可能性は高いと感じていました。もっと早く手立てを講じるべきだったのに、申し訳ありません』
そう謝られて、慌てて首を振った。
「違うんです。俺が…最近、悠の考えていることがわからなくて…、ちゃんと向き合えていなかった俺が悪いんです。時間が経てば元通りに戻るだろうなんて楽観視して…」
それに連絡のとれない父親などに遠慮せず、悠をちゃんと俺の養子にしていればこんなことにはならなかったかもしれない。後悔の波が後から後から押し寄せてくる。
ふ、と笑ったような音がして、思わず耳をそばだてた。
『花村さんは悠君ととても良い関係を築いていました。この仕事でたくさんの家族を見てきたからわかります。悠君は花村さんの愛情を身に受けて、健やかに成長しています。それにあなたたちは血のつながりがなくても、私から見たら充分に家族ですよ』
そう言われて、救われるような気分だった。電話越しじゃ見えないけど、お辞儀をせずにはいられなかった。
『悠君の居場所がわかりしだい、管轄の者が訪問します。悠君の精神状態に問題がないか、虐待を受けていないかを確認します。もし花村さんが父親と話し合いをするようなら、是非我々も立ち会わせてください。当事者だけより第三者がいた方が悠君の気持ちに寄り添った方向に導きやすいと思います』
「はい。是非、お願いします」
悠の笑顔が頭の中に浮かんだ。今も笑って過ごせているだろうか。考えると胸が苦しくなった。
いつからだろう。もう、いつの間にか、悠は俺にとって切り離せない自分の人生の一部になっていた。何にも替えがたい家族になっていた。
家に帰って経過をホテルや実家、そして尚紀にも伝えて、いつでも悠の居場所に行けるようにと準備していると、メールが来ていた。母さんからだった。
『悠君に会ったら伝えてね、花村のおばあちゃんが待っているわよって』
そのメッセージにひとりで頷き、『必ず伝える』と返信した。
一緒に広報委員をやっていた田中さんや、職場の三井さんからも「悠君、きっと無事に戻ってきますよ」「ヘンな噂なんて気にしてないから、ちゃんとふたりで戻ってきてよ」と励ましのメールが届いていた。
返信をしているうちに、堂島さんがわざわざうちに出向いてくれた。
「学校から聞き出して、男の身元がわかった。男の名前は鳴上怜。都内の他人の女性名義のマンションに住んでいるようだ。今から管轄署の警官が向かうことになっている。保護できるまでうちで待機してくれ」
「あの、俺も行っちゃダメですか」
「ダメってことはないが…遠いし、地元警察に任せた方が早いぞ?」
堂島さんは俺を見て困ったように顎髭を手で梳いている。
「知らない大人たちが押し掛けた時、俺もいた方が悠は安心できると思います。それに、向こうの父親がどういうつもりで悠を連れていったのか、ちゃんと顔を合わせて話したいんです」
「参ったな…。………向こうで騒ぎを大きくしないと約束できるか?」
「俺は冷静ですよ」
堂島さんは俺を見て、なぜか大きなため息をついた。
「自分を鏡で見てみろ。冷静って顔には見えないぞ」
思わず自分の頬に手を当てると、堂島さんは苦い顔をしながら「俺も行こう」と笑った。
堂島さんが連絡を取っている間、ふと気になって悠に渡した父親が映っている写真を探した。
時々、悠が写真を眺めた後、本みたいなものに挟んでいた気がする。教科書、参考書、それともよく読む本…?
よく読む本というと、料理の本が思い浮かんだ。それと恐竜図鑑も。それらのページをめくって探してみた。
「これ…」
恐竜図鑑の中に、探している写真を見つけた。だけど、その写真の父親の部分だけが破られていて、小西先輩と悠しか映っていなかった。
「悠…」
一体どんな気持ちで悠は父親の部分を破り捨てたんだろう。その心が負った傷を想像するだけで胸が痛くなった。
堂島さんと都内まで電車で移動し、管轄の女性警察官、それに田村さんが連絡してくれた児童相談所の地域担当・佐藤さんと合流する頃には、もう日も暮れて辺りは暗闇に包まれた。
管理人に同意を得て、四人でマンションの14階までエレベーターで上がった。
インターホンを何度か押すと、間もなく男が出てきてドアを開けた。
「ずいぶんな大所帯だな」
そう言ってドアの中から現れたのは40代くらいの男だった。銀灰色の長い前髪をかき上げて、けだるそうな色素の薄い瞳を覗かせている。身長も高く、何かほの暗い雰囲気を持つ彼は、無地のネルシャツを着ていて、細いが筋肉質、そして匂い立つような雄の色気を放っている。
きっとこの男と悠がふたりで並んでいたら、ふたりは親子だと誰もが思うだろう。そのことが妙に自分の胸をざわつかせた。
「警察です。鳴上悠君の誘拐容疑で来ました。話を伺えますか」
「まったく…大げさなことにならないよう学校に連絡に入れたのに、これか。まあここで騒がれても迷惑なんで、どうぞ」
堂島さんの後をついて中に入ると、広いリビングの隅っこで悠が立っていた。
「悠…!」
俺が近づこうとすると、悠は慌てて奥の部屋に引っ込んでしまった。
「なんで…」
俺を見て、父親がソファでくつろぎながら、くすりと笑った。
「これでわかっただろう? 誘拐じゃないって。悠は自分の意思でここにいるんだよ」
そう言われて、よけいに混乱した。
堂島さんがすかさず彼を睨んだ。
「仮にそうだとしても、保護者の同意なしに勝手に連れ去ったら誘拐罪に相当するぞ」
「俺は連絡したかったさ。けど、悠が保護者の連絡先を教えてくれなかったんだから、しょうがないだろう」
しれっと悠のせいにする父親に腹が立って思わず言った。
「何で今更悠を…。小西先輩と悠がいる家を自分勝手に出て行って、何年も放置して、今更悠を引き取ろうなんて、どういうつもりなんですか」
「ふうん? どうせ早紀が同情を誘いたくて都合の良いことを言ったんだろう。本当は早紀が勝手に出ていったんだよ。悠を連れてね」
思わず父親の胸ぐらを掴んだ。
「嘘をつくな…!」
「花村さん、落ち着いて」
管轄の警察官に引き離されて、だけど言わずにはいられなかった。
「小西先輩が悠を育てるために、ひとりでどんだけ苦労したと思ってるんだよ! 仕事を失って、実家からも見放されて、味方がいなくて…。悠だってそうだ。先輩が亡くなった後、ひとりで、親戚にも見放されて…親がいないことで周りに馴染むのにどれだけ大変だったか、お前、ちゃんとわかってんのかよ!」
そう叫んでも父親は悠然と笑っている。
「それでその苦労を自分が背負ったから、もっと感謝の意を示せって?」
「は?」
「あんたが保護者だった花村さん? …ふうん」
意味ありげな目で俺を見ている。
悔しい。この父親にちっとも言葉が通じないことが。悔しい。
堂島さんが俺の前に立ち、父親を見据えた。
「本来ならあんたは誘拐以外にも、育児放棄の罪にも問われてもおかしくないんだぞ。だがな、今はともかく、子どもの無事を確かめさせてもらう」
「それは構わないが、勝手に悠を連れていかないでくれよ。せっかく親子水いらずの時間を過ごせるようになったんだから」
何が「勝手に連れて行くな」だ。その言葉、そっくり返したい。腸が煮えくり返る思いだ。だけど、堂島さんの言う通り、今は悠の無事を確かめるのが先だ。ぐっと拳を握ってこらえた。
児童相談所の佐藤さんに促されて、悠のいる部屋をノックした。
「悠君。僕は児童相談所の佐藤と言います。ちょっとお話したいから、部屋に入っても良いかな」
返事がないので「入るよ」と佐藤さんが重ねて声をかけた。一緒に入ると、電気のついてない真っ暗な部屋で悠がうずくまっていた。
「悠君。暗いから灯りをつけるよ」
佐藤さんが灯りをつけると、悠は背を向けて、部屋の奥で体育座りをしていた。こっちから表情は見えない。
「悠君。どこか、痛いところはない?」
悠は首を横に振った。
「念のため、身体を見せてもらっても良いかな?」
佐藤さんが尋ねると、悠は頷いた。佐藤さんが悠の袖をまくったりして背中やお腹を確認したが、特に暴力をふるわれた跡は見当たらなかった。それを見て、少しだけほっとした。
「ここに来るまでのこと、話してくれる?」
「お父さんに連れてこられて…お父さんが僕のお父さんだって。今日からここが僕のおうちだって」
いつもの悠ならちゃんと人の目を見てきちんと話す。だけど、なぜか足下を見ながら悠はぼそぼそと話している。
「悠、ちゃんと顔を見て話せよ」
俺がそう言っても、悠はかたくなにこっちを向こうとしない。困って佐藤さんと俺が顔を見合わせた。
佐藤さんは優しい声で尋ねた。
「悠君はこれからどうしたい? 悠君の気持ちを大事にしたいと僕達は思っているよ」
「…僕、帰りません。ここにいます」
当然「帰りたい」と言うものだと思っていた。ショックで声が出ない。
「そう。悠君はどうしてそう思うのかな?」
佐藤さんが重ねて尋ねると、悠は黙った。
「…なんか言えよ、悠」
思わず声を荒げると、佐藤さんが俺を制止した。
辛抱強く待っていると、やがて悠がか細い声を上げた。
「…帰りません。僕はお父さんの子どもだから……ここにいなくちゃ…」
心なしか悠の声が震えている気がする。小さな肩も震えていた。
佐藤さんが俺の肩を掴んで、首を横に振った。
「わかったよ、悠君。今日は悠君に挨拶に来ただけなんだ。もっと悠君の話が聞きたいから、また会いに来ても良いかな?」
佐藤さんがそう声をかけると、悠が小さく頷いた。
部屋を出るよう佐藤さんに背中を押されて促され、それでも悠が気になって後ろを振り返った。悠がこっちを見てるんじゃないかって心のどこかで期待していた。だけど実際は、悠は体育座りをして、足に顔を埋めて丸くなっていた。
「悠…お前、本当にそれで良いのかよ?!」
叫ばずにはいられなかった。こんな風に小さく丸まっている悠が、幸せだとは思えない。
俺の言葉に悠の肩が揺れたが、頑なに俺を見なかった。
「花村さん、行きましょう。悠君、またね」
促されて部屋を出た。ドアを閉める瞬間、ちょっとだけ悠が振り返ってこちらを見た気がする。
廊下で佐藤さんが俺を見て、小声で言った。
「あれが悠君の本心とは思えません。悠君、どうしたいかではなく、どうすべきかということしか言ってませんでしたから」
「だったら…」
だったら尚更問い詰めるべきじゃないのか。だけど佐藤さんは首を振った。
「悠君の意志はかたい様子でした。家族であるあなたの前だとかえって言いにくいこともあります。落ち着いた頃合いを見て、僕がまた話してみますから」
そう言われて、悔しかった。悠とは何でも話せる関係でありたいと努力してきたつもりなのに。自分の無力さを目の前にたたきつけられた気分だった。
「話は終わったか? だったらさっさと退散してもらえないか。こっちは良い迷惑なんだ」
父親がソファにくつろいだまま笑っている。
堂島さんが眉根に皺をいくつも刻んだ。
「今日の所は帰る。が、自分の子どもをこれまで育ててくれた花村さんにその態度はあまりに失礼じゃないか」
「はいはい。『すいませんでした、お世話になりました』。これで良いです?」
薄っぺらい謝罪と礼に、堂島さんが「お前なあ」と身を乗り出した。その肩を掴んで引き留めた。
「構いません。俺のことはどうでも良いです。ただ」
悠の父親の正面に立って言った。
「悠がこれからも笑って過ごせるようにしてほしい。それだけが俺の願いです。これまでの分もちゃんと悠に愛情を注いでやってください。どうかお願いします」
彼は鼻で笑っていて、俺と目を合わせることもなかった。態度や見た目だけで判断はしたくないが、この男が悠に愛情を注いでくれるとは到底思えない。
佐藤さんが彼に名刺を差し出した。
「悠君は僕とまともに目が合わせられず、声も小さく、精神的に不安定な感じが見受けられました。これからも接見の必要性が高いと判断します。またこちらに訪ねてもよろしいでしょうか」
「面倒だし、近所に何かヘンな噂をたてられると迷惑なんで勘弁してくれ」
佐藤さんが名刺を差し出したまま、まっすぐに男を見ている。
するとはあっと大げさにため息をついた男が、名刺を受け取った。
「必要最低限にしてくれ。問題ないと判断したら二度と来ないでくれ」
「それは悠君の状態しだいです」
佐藤さんがこれからも様子を見てくれるということで、少しホッとした。警察としては証拠が不十分で誘拐以外の罪は問えず、このまま引き下がるしかなかった。
俺たちはマンションを出て、四人で話し合った。
「父親の元で暮らすのが悠君にとって良いこととは思えませんでした。ですが、悠君の意思でここに居るとなると、虐待の証拠でもない限り二人を引き離すのは難しいです。もっと悠君と話して、わけを探ってみます」
「あの様子だと、父親に何か吹き込まれたのかもしれんな。こっちは花村さんの悪い噂がどこから拡がったのか洗ってみよう。糸口がつかめるかもしれん」
佐藤さんと堂島さんたちに頭を深く下げた。
「悠のために、こんなにしていただいて、本当に有り難うございます」
ふたりはふっと目元を和らげた。
「それが俺たちの仕事だからな」
「ええ。花村さんは今後どうしますか? やはり、悠君と暮らしていくことを望みますか?」
そう言われて、言葉が出てこなかった。父親が無理やり連れ去っただけならはっきり悠を連れ返すと言えたかもしれない。だけど、悠が帰ることを望んでいないのだとしたら……
「わかりません。今、ちょっとまだ、頭が混乱して」
悠と過ごしてきた日々はただの「家族ごっこ」だったんだろうか。俺たちの間に感じた絆は、俺の思い過ごしだったんだろうか。
ぽん、と肩に手を置かれた。堂島さんが笑って俺を見ていた。
「一人で悪い方に考え過ぎるなよ」
「すいません…そうですね」
今はまだわからない悠の気持ちも、いつかはわかるかもしれない。それに俺はひとりじゃない。俺たちのことを理解してくれる人たちがいる。悠のために動いてくれる堂島さんや佐藤さんたちもいる。
「これからも悠のこと、よろしくお願いします」
深くお辞儀すると、堂島さんが「ああ」と檄を飛ばすように何度も背中を叩かれて、痛かったけど、泣きそうになるくらい勇気づけられた。
げんかんのドアがしまる音がして、くつ音が遠くなっていく。窓から下を見たけど、陽介の姿はここから見ることはできなかった。
「陽介…」
本当は帰りたかった。陽介が迎えに来てくれて、すごくうれしくかった。もし陽介に手を引かれたら、そのまま帰ってしまったかもしれない。
だけど、帰ったら陽介にメイワクがかかっちゃうんだ。
ぼくも最初は車から逃げようとした。だけど、ここに来るまでの間、何度も言われたことが頭の中にずっと残って、今も消えない。
「お前がいると、お前を引き取った男に迷惑がかかるんだよ」
そう言われて、最初はウソだと思った。
でも、お父さんにノートパソコンで見せられた。
『ホテルの従業員の男が養子にした子どもをモデルとして働かせたりエロいことをしているらしい』
『子どもを捌け口にするなんて最低』
『通報した』
ところどころどういうイミがわからない部分もあったけど、陽介に悪口がいっぱい書かれていることだけはわかった。
それに色んなヒトが「ひどい」とか「ホテルもグルなんじゃね」「解雇しろ」って書いている。そのうち、陽介の名前が出てきて、色んな陽介の写真とかが出てきた。その写真に落書きがされたりしているのを見ると、お腹がムカムカとした。
「お前がそいつの傍にいると、よけいに噂が立つんだよ」
お父さんにそう言われてショックだった。僕のせいで陽介がひどいことを言われたりするなんて思わかなった。
「だからお父さんと一緒にいよう。もともと家族が一緒にいるのが当たり前なんだ。他人と一緒に住む方がおかしい」
何度も何度もそう言われて、だんだんその方が陽介のためなんじゃないかって思えてきた。
大好きな陽介の笑った顔を思いうかべると胸がぎゅうっとした。僕が陽介を守らなくちゃ。
「長いことお前を捜していた。モデルをやっているお前を偶然ネットで見つけて、俺の小さい頃そっくりだったからすぐにお前だってわかった。これからはずっと一緒だ」
「うん…」
父と一緒に住んでいた頃のことはよくおぼえていなかった。僕が保育園に通っていた頃にいなくなった。顔も思い出せないし、いつも僕に背中を向けていたような気がする。
「面倒を見るから、これからは家族として協力してやっていこうな」
そう言われて、うなずいた。これからはお父さんとふたりで「家族」なんだから、ぼくができることは何でもしなきゃ。陽介と一緒に住んでいた時もそうだったし。
「あの…お父さん。僕、陽介にお礼を言わなきゃ。…それと、お別れも」
ちゃんと家を出ることを伝えなかった。陽介のことだから、心配して僕を探しているかもしれない。
ふっと父親は笑った。
「迷惑をかけるだけだ。もう会わない方が良い」
そう言われて、胸がまたぎゅうって痛くなった。もう会えないんだ。陽介とおしゃべりしたり、ご飯を作ったり、一緒にねむることもないんだ。
こんなことになるんだったら、ママさんとパパさんの家に逃げないで、ちゃんと自分の気持ちを伝えれば良かった。陽介と一緒にご飯を作って、いっぱいお話をすれば良かった。
「…………はい」
「まあ、向こうから来るかもしれないけどな」
そう言われて、また陽介に会えるかもしれないと、嬉しくなってしまった。だけど、会うと、陽介がこまるんだ。あわてて首をふった。
「僕、もう陽介に会わない」
「ああ、それが良いさ」
そう言って、手が伸びてきて、思わずびくっと肩が揺れた。目をつぶると、頭をなでられたのだとわかって、なぜだかほっとした。背中にじんわりと汗をかいていた。
どうしてお父さんのことをおぼえていないのか、僕はよくわかっていなかったんだ。
今、大声で叫んでも、きっと陽介には届かない。
「さよなら、陽介。今までありがとう」
ちゃんとあいさつをしなくちゃって思っていた。だけど言葉ににしたら陽介ともう本当に会えなくなっちゃうような気がして、口から言葉が出てこなかった。
「陽介は僕が守るから…」
きっとこれで良いんだ。そう自分の心に何度も言い聞かせたけど、胸のいたみはいつまでも消えなかった。
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