家族ごっこ12
2020/10/25(Sun)22:21
ペルソナやテレビの世界がなく、事件も起こらなかった八十稲羽の数年後のお話。主人公(鳴上悠)が小西先輩の息子という特殊設定です。
陽介は悠の父親のことで、悠は自分の進路で悩んでいるふたり。
素敵な表紙イラストは茶絣ぶみさんが描いてくださっています。いつもありがとうございますー!!
悠は二年と三年の合間の春休みに開催される県の演劇コンクールに向けての練習が増え、このところ帰りが遅くなっている。
買い物をして、晩御飯の支度をしていると、携帯電話が鳴った。
弁護士の法月さんからの電話だと確認し、電話に出た。
「もしもし、花村です。…………そうですか。希望通りに…」
悠の父親の件だ。今は刑務に服しているが、いずれ塀の外に出ることになる。その時のことを今、向こうの弁護士と法月さんに話し合ってもらっているのだ。
こちらの希望は悠に半径5メートル以内に近づかないこと。もし会って話したい場合は俺か法月さんと3人以上で会うこと。
俺としては無期限でそうしたい。だが悠が18歳になった後のことまでは保護者の俺に決める権限はない。だから条件の期間は悠が18歳となる日までとなった。
出所後、あの父親が悠に金銭的にも精神的にも依存するようになったらと思うと不安で仕方ない。
悠が無事高校を卒業しても、大学に進学したり就職した時に、父親がつきまとってきたらと思うと憂鬱だ。だからと言って俺がずっと悠の周辺を見張っているわけにもいかない。
あの父親が存在することが悠の苦しみとならないように今、できるだけのことはしなければ。
『花村さん? 聞こえていますか?』
法月さんの呼びかけにハッとした。
「あ……すみません。何でしょう」
『向こうの弁護士によると、鳴上氏はこちらの要求に対して無気力に頷いたと言っていました。生きる希望もなくなってしまっているようで、いつか自殺でもするんじゃないかと不安がっていました』
「身勝手なことを……」
悠を都合よく使って苦しめておいて、自分がしたことの責任もとれないのか。そう怒りがふつふつ沸いてきた。
「俺の手紙、ちゃんと向こうに届いていますよね?」
『ええ。読んでいるかどうかまではわかりませんが、検閲されて、差し入れされたのは確かです』
悠の様子を手紙にしたためて父親に送っている。
それを送ったきっかけは父親から悠宛てに手紙が届いたからだった。
そこには父親自身の生い立ちが書かれていた。
俺の親は躾の厳しい人だった。
学年で一位は当たり前だ。自分がそうだったと常に父親は語った。
運動でも勉強でも何でも一位になることを求められた。それが俺にとってはプレッシャーで苦痛だった。
一位がとれないと罵られ、体罰は当たり前で、食事が与えられないこともあった。
過剰な期待をされるのは親が自分を愛しているからなのだと思っていた。だから苦しくても俺は必死になって一位になり続けた。
だが厳しいプレッシャーで体調を崩し、志望する難関高校に落ちた時から、自分は父親からいないものとして空気のように扱われるようになった。
母親もそれを見て自分を庇うでもなく、黙って父親に右ならえした。
大学進学を機にようやく親元を離れることができたが、それ以来、父親からも母親からも連絡は来なかった。
その時にようやく俺は気が付いた。
あれは愛情ではなかった。自分は愛されていなかった。
ただ、父親と母親にとって都合の良い、自分たちの虚栄心を満たすモノして調教されたのだ。
そして期待に応えられなかったから捨てられた。
自分は今まで何のために努力したのか、考えると虚しくなった。父の期待に応えて、愛情などもらえたことは一度もなかった。自分は何のために生まれて、何のために生きるのか。考える程ただただ虚しかった。
俺は行き場のない気持ちを引きずりながら、生活のために仕事をしているうちに悠の母親、つまり小西早紀と出会った。
彼女も自分と似ていた。父親の過干渉。周囲からの噂の圧力がたまらなくて高校を卒業するとすぐに家を出たという。
父親は父親。自分は自分なのにね。そう彼女は遠くを見ながら言った。
気が合って、すぐに結婚した。
そして悠が生まれた。
自分が父親になるなんて恐ろしかった。かつての父と同じように自分も子どもに手を上げてしまう親になってしまうんじゃないかと怖かった。
彼女はそんな俺に笑って言った。「ただ抱きしめてあげれば良いの」と。
そうして悠、お前が生まれた。
お前がいて、早紀がいて。こんなにあたたかく幸せな時はないと思った。心からお前が愛しかった。今、この瞬間のために自分は生きているんだと思った。
だけど、そのうち世の中が不況になって、仕事がうまくいかなくなって。
イライラしていた俺は赤ん坊のお前に手を上げるようになった。
それを早紀はかばった。
自分をかばってくれる人は誰もいなかったのに。
何だかそれが苛立って、何度も悠や早紀に当たるようになった。
ある日、四歳になったお前は早紀の前に立って、手を広げた。
「おかあさんをいじめるな!」
その時、自分が父親と同じことをしているとようやく気付かされた。
それで怖くなってお前たちの元から逃げだした。
自分は仕事もできず、大切な家族すら守れない矮小な男なのだと気づかされたからだ。
それから数年たって、ようやく新しい仕事が順調に行き出した。
それで今なら早紀と悠を迎えに行けると思った。もうふたりを叩いたり、罵倒したりしない。そう思った。
早紀の実家近くで道を尋ねると、早紀が数年前に亡くなっていたことを知った。そして悠が親族でもない男の家で育てられていることも知った。
だからお前を迎えに行った。
だけどお前は俺のことを「知らない人」だと言った。小さい頃だったから覚えてないのは仕方ないと思った。
何度も会いに行ったが、お前はおびえた顔で逃げ出した。
それで保護者の悪い噂を流したり、児相へ通報したりしてお前を保護者の男から引き離そうとした。どうせ親族でもないのに悠を引き取ったのはその男に下心があるからだと思っていた。
だからそいつから引き離して、自分の手元に置こうと思った。そしてお前に保護者の悪い噂を伝え、俺の家に連れ帰った。
それまで悠を自分に重ねていた。
自分と同じ、愛情を与えられなかった子どもだと思っていた。だから俺が幸せにしてやろうと思った。
だけどお前は違った。愛情を受けて育った子どもそのものだった。
それが早紀に与えられた愛情なのか、保護者に与えられたものなのかわからない。ただ自分とは違うと感じた。
それを日に日に感じるようになって、仕事がうまくいかなくなったこともあって、俺はイライラしだした。
それでまたお前に当たってしまった。同じことを繰り返してしまった。
お前を自分の思い通りコントロールできていると安心できた。お前が勝手なことを言い出すと、心のコントロールがきかなくなる。そういう時は俺はお前を自分とは違う人間だとは思えず、自分の所有物のように感じた。そのことで偉大だと思っていた父が心の弱い人間だったことに気がついた。そして俺も。
だからテレビ局の仕事が舞い込んできてチャンスだと思った。成功すればきっとお前のことも可愛いと思えるはず、そう思い込んだ。
だけど失敗して、生放送で流されて、もう死ぬしかないと思った。お前を道連れにすれば死ぬことも怖くないと思った。
なのにお前と引き離されて、俺はひとりで自分を保つことが難しい。
悠、こんな弱い俺を許してほしい。
お前にどう接していいのかわからない。だって愛されたことなど一度もなかったのだから。
そう手紙は締めくくられていた。
それは謝罪の手紙のようでいて、ただ弱い自分を許してほしいという、なんの反省も見られない、自分勝手な文章だった。
こんなものを悠に渡すつもりはなかった。こんな内容の手紙で悠がどんな思いをするのか考えもしなかったのか。怒りで思わず手紙を破いてしまった。
一度、ごみ箱に捨てたけれど、悠に宛てた手紙を俺が勝手に捨ててしまうわけにはいかなかった。
だから悠に見つからないように、会社のロッカーに保管してある。
それで俺は保護者として悠に関しての手紙を出した。
そして悠のことをしたためた。
悠がうちにくることになった経緯。
八十稲羽の学校では親がいないことでなかなか周りに受け入れてもらえず、可哀想な子だと思われていたこと。自分が今の環境をどう思っているのか作文を書いて、気持ちを伝えられる子供だということ。
最初は保護者の俺に対しても最初は心を開かなかった。お金を使わせない気づかいのできる子。
母親が亡くなったのは事故が原因だったのに自分のせいだと思い込んでた優しい子。
長距離走で1位をとったこと、学年末のテストで1位をとった。
それも俺のことを悪く言わせないため、父親であるあんたを悪く言わせないために頑張っている。
勉強も運動も頑張って、将来に向けての準備をしていた。
料理がとても上手で、いつか人を笑顔にする料理人になりたいと話していたこと。
今、進路について真剣に悩んでいること。
最近俺に対してよそよそしい態度をとるようになったり、急に甘えてきたり、大人びた顔をしたり。思春期らしい態度をとるようになってきたこと。
悠がどんなことで悩み、笑い、怒るのか。
どれくらいまわりの人を大切にする優しい子なのか。それは自分を苦しめた父親のあんたも含まれるということ。
それをあんたは知らないといけない。
あんたみたいな人間でも悠にとってはたったひとりの父親だということを忘れないでほしい。
その上で、父親として自分が悠に何ができるかを真剣に考えてほしい。
そう最後に締めくくった。
父親は知らないといけない。自分が無碍に扱った息子が何を考えて、何を思って生きているのか。どんな人生を送ってきたのか。
きっとそんなこと知ろうともせず悠を傷つけたんだろうから。
悠がひとりの人間だということを知らないといけない。
悠は都合の良い人形などではないことをわかってもらわなければならない。それを知らずに反省や後悔などできやしないのだから。
その結果、悠とは距離を置くのか、そうじゃないのかを決めてほしい。できたら距離を置いてほしいと思うけど、きっと悠と父親の間には俺にはわからない絆があるのだろう。
それを裂く権利なんて悔しいけど仮初めの保護者である俺にはないのだから。
「そうですか。それじゃ、また書くので向こうの弁護士に預けてください」
『わかりました。それと、父親が要求をのんだことは私から悠君に伝えた方が良いですか?』
悠はあんな父親でもまた会いたいと言っていた。きっとふたりで会えないことに心をざわつかせるだろう。
「……いえ。機を見て俺から伝えます」
通話を切ると、気配がし、慌てて振り返った。廊下に悠が立っていて、こちらを見ていた。
「おま、帰ってたのか……。連絡くれたら迎えに行くって言っただろう」
「みんなと一緒に帰ったから大丈夫」
何か言いたげな顔で俺を見ている。
「あ、メシの支度ができたぜ。準備しておくから、手を洗ってこいよ」
「陽介。今のって弁護士さん?」
「…疲れているだろ。早く行ってこいよ」
皿に野菜炒めを盛り付けていると、横に悠がやってきた。
「さっき声が聞こえた。陽介から伝えるって。それってお父さんのこと?」
誤魔化し様もなく、思わずため息をついた。まさかこんなに話す機会がすぐにやってくるとは思っていなかった。
できれば様子を窺って、悠の気持ちが落ち着いている時に話したかった。
「悠、話すから座って」
悠は黙ってダイニングの椅子に座り、俺を見た。
俺も書類を広げて正面に座った。
「悠の父親の出所後の取り決めについて向こうの弁護士さんと話し合ってもらって、さっき決まったんだ。悠にとっては嫌な話をするかもしれない」
そうあらかじめ伝えると、悠は真剣な顔で頷いた。
「父親は出所したらお前につきまとうかもしれない。たとえば…金を貸してほしいとか、同じ家に住まわせてほしいとか」
悠はその言葉に目を見開いた。
「最初はお前に優しい言葉をかけたり優しい態度をとるかもしれない。だけどそれは演技で、本当は自分の生活のために悠を利用しようとする可能性がある」
そう言うと、悠は口を開きかけて、また口をつぐんだ。
「それで、弁護士の先生に相談したんだ。先生は過去に何度も家族同士の問題を解決してきた人で、どうするのが一番良いか、アドバイスをもらいながら考えた。それで、もう今後は父親と悠ふたりで会えないようにという制限をつけることにしたんだ」
悠は悲しそうな顔をした。
「もう……お父さんに、会えない?」
「そうじゃない。悠が会いたいと思った時は俺か弁護士の法月さんと少なくとも三人以上で会うという条件付きで会えるんだ」
そう伝えると、悠はほっと息をついた。あんな父親でもやっぱり悠にとっては大事な肉親なんだな。そう思うと何だか悔しさがこみ上げてくる。
「だからもし、あの父親がふたりで会おうとか言ってきたら、絶対に応じないでくれ。……俺はもうお前を危ない目に遭わせたくないんだ」
「陽介………」
悠に頭を下げた。
「当事者のお前を抜きにして勝手に決めて悪かった。お前は優しいから……でも、そういうところを父親につけこまれると思って……」
頭を上げて見ると、思ったより悠は落ち着いた顔をしていた。
「うん、わかったよ。陽介が僕のために真剣に考えてくれたんだから、きっとその方が良いんだと思う」
もっと反発するかと思った。だけど悠が素直に頷いてくれて、思わずほっとした。
「でもな、その約束も……俺が保護者でいられる間のことなんだ。もし継続してそれを悠が望むなら、悠自身が改めて取り決めを結ぶ必要がある」
「それって…18歳になったらってこと?」
「そう。それまでは俺がお前を守る立場でいられる。できればその間に父親をなんとかしたいんだけどな……」
そう伝えると、なぜか悠が寂しそうな顔をした。
「悠?」
「……僕って18歳になったら、この家を出ないといけないんだよね……?」
「え?」
どうやら俺は悠にちゃんと伝えられていなかったみたいだ。
「おいおい、勘違いするなよ。お前が大人になるってことはどこにでも自由に行けるんだよ。だからここに居たかったら居たって良い。お前の帰る『家』はここなんだからな」
「陽介……、本当に?」
「当たり前だ。だって、俺たち家族だろう? 離れたって、悠が大人になったって、それはずっと変わらない」
父親に悠を引き離されて痛いほど感じた。俺と悠はもうとっくに家族なんだって。
悠は涙ぐんで、鼻のつまった声で言葉を発した。
「ありがとう。陽介……。僕、決めたよ」
「ん?」
悠は顔を上げて、俺を見た。
「僕、高校は四国にあるフレンチを学べる学校に行く」
その後のことをよく覚えていない。食事をしたような気がするけど味がわからなかった。
悠が学校について、食事をしながら説明してくれたけど、頭の中に入ってこない。何か言いたそうな目をした悠が俺の周りをうろうろしていたけど、そのうちに「お風呂入ってくるね」と言って部屋を出ていった。
「悠が……四国に……?」
悠が家を出るとしたら高校を卒業した時とか、大学を卒業した後だとか、もっとずっと先のことだと思っていた。なのに。
ショックで言葉が出てこない。もうずっと悠は進路について色々調べていた。学校案内のパンフレットを見ながら悩んでいる風でもあった。
一緒にあちこちレストランや和食のお店に行ったりもした。フレンチを食べた時に感激していた。こんなに綺麗な盛り付けを初めて見たと目を輝かせ、見ても食べても楽しいなんてすごいと興奮していた。
その頃から悠の中にはフレンチのコックという選択肢があったんだろうか。
悠が見せてくれた学校のパンフレットを開いた。海と山が両方ある自然あふれる場所で、農業や畜産をして実際に野菜や動物を育てながら料理についての勉強ができる。
学校では語学や数学、会計や経営、栄養学などの勉強をし、調理実習をし、朝と放課後は農作業や家畜の世話をする。料理や学力の試験で奨学生に選ばれれば授業料は半額免除される。
全寮制で寄宿料も格安で利用できるようだ。
県立だけあって県の飲食店と提携を結んでいて、そこで就職の支援もしてくれるらしい。
それに二年生の夏休みに希望者はフレンチの本場・フランスで短期留学ができるらしい。
なるほど、悠が選びそうな学校だ。ちゃんと俺の要望も聞いてくれて、高卒の資格がとれるような学校にしたようだ。
「良さそうな学校だな……」
そう。場所さえ遠くなければ良さそうな学校なのになんでそんな遠くの学校を選ぶんだよ。思わず顔を手で覆った。
その話をしてから数日後、悠たちが中学演劇コンクールに出るため県立ホールに行くことになり、ちょうど俺も休日だったため、ドライバーとして駆り出された。
駐車場に車を停めて、機材や衣装を運ぶ手伝いが終わると、やることがなくてホールに立ったまま暇を持て余していた。
すると小柄で可愛いらしい雰囲気の女性が近づいてきた。
「あの、花村さんですよね」
「ええと?」
「私、美々の母です」
「ああ、美々ちゃんの!」
子どもがいるようには見えないくらい若く見える。だけど、確かに目がくりっと大きくて、美々ちゃんと雰囲気が似ている。
「私、他の学校の演劇は正直興味がなくて、美々たちの出番の前になったら中に入ろうと思って。良かったら花村さんもお茶でもしませんか?」
誘われて、俺も他の学校の演劇には興味がなかったので、断る理由もなかった。
「はい、俺で良かったらご一緒させてください」
ホールの併設されているカフェで一緒にお茶をした。
話していると美々ちゃんママは若い見かけによらずしっかりしているし、テンポよくハキハキと喋っているので、話を聞いてて気持ちが良い。失礼な言い方だけど美々ちゃんのバージョンアップ版って感じがする。
「最近部活での悠君の話をよく美々から聞かされるんですよ。やっぱりあの子、吹っ切れたって言ってても、まだ悠君のこと好きなんじゃないかしら」
「あはは……どうなんでしょう」
俺のことを見透かすような目をしていた。俺が本気で悠の気持ちについて考えられないことを見抜いていた。
「あー美々ちゃん、すっかり綺麗な子になりましたよね。それにすごくしっかりしているし。女の子は成長が早いですね」
「あんまりませたことばかり言うから、ヘンなことに巻き込まれないかって、私もパパも心配で仕方なくて」
援交とか。そう言われて、なるほど女の子だとそういう心配もあるのかと頷いた。
「でもいつかうちを出て自立するかと思うと、親が何でもしてあげるのも過保護かなって思うし。匙加減がむずかしくありません?」
そう呟く美々ちゃんママに頷いて同意した。
「わかります。この前、悠が県外の学校に行きたいって言い出して……俺、ショックが強すぎて、悠のこと応援できなかったんです」
「まあ…悠君が」
「悠のためなら何でもしてやりたいって思ったのに、何だかんだ自分の傍にいてほしいなんて思っちゃって。保護者失格ですね」
「そう思って当然ですよ。遠くにいたら守ってあげられないんだから」
そう言われて、俺が傍にいてほしいという気持ちと、美々ちゃんママの気持ちは何か違うような気がした。
同じ違和感を子どもの親となった一条からも感じていた。
俺は悠を守ってあげたいから傍にいてほしいのだろうか………?
その後も学校の先生のこととか色々話したけど、自分の気持ちがわからなくて、ぼんやりとした受け応えしかできなかった。
そろそろ悠たちの出番が近いということで会場の中の空いている席に移動したけれど、やっぱり同じことを考えていた。
俺はどうして悠に傍にいてほしいと思うんだろう。
離れていても家族だなんてきれいごとを言っておいて、なのに悠が遠くの学校に行きたいのだと知った時、ショックで言葉が出てこなかった。
まだ父親に引き離された時の空虚感を引きずっているんだろうか。
悠は俺のことを好いているし、傍にいるのを当たり前だと思いこんでいたんだろうか。
前の学校が終わって会場中の拍手とともに幕が下りた。
しばらくすると幕が上がった。
その声は美々ちゃんだった。丈の長いドレスを着た美々ちゃんが二階のベランダで空に向かって話しかけていた。
「ああ、ロミオ、ロミオ、どうしてあなたはロミオなの。お父様と縁を切り、その名を捨てて。それが無理なら、せめて私を愛すると誓って。そうすれば、私はキャピュレットの名を捨てましょう」
その言葉に、茂みで潜んでいたロミオが現れた。
悠が青い衣装を身にまとい、高いところにいるジュリエット役の美々ちゃんに向かって片膝をついている。
ふたりで愛を囁き合っている。その様子に隣の美々ちゃんママがふふ、と小声で笑った。
「本当にお似合いのふたり」
「そう…ですね……」
誰が見ても美男美女のふたりで、ふたりのことを知っている俺が見てもため息が出るほどだ。
ジュリエットが他の男と婚約させられそうになっていると聞いてロミオは憤慨した。
「ジュリエット、実力行使だ。僕らが先に婚約を果たそう。結婚式を挙げて、指輪を交換して、婚礼の儀式を済ませよう。君が本当に僕を信じてくれるなら」
その甘やかな声に、視線にドキリとした。その声に会場からため息がもれた。
そういえば、最近声変わりを何度も繰り返して、ずいぶん男っぽい声になってきた。
大人と子どもの境目の、思春期特融の何とも言えない色気が悠にはあった。
美少年と美少女、絵に描いたようなふたり。動きや台詞が硬いけど、それもストーリーがすすむにつれてだんだん熱が入っていったのか、演技も良くなっていった。
ジュリエットはロミオを愛している。ロミオもジュリエットを心から愛している。それが伝わってくる。
ロミオをジュリエットのひと幕。悠が台詞の練習を家で何度もしていたなと思い出した。ふたりは密かに修道士の前で愛を誓い合った。
若いふたりには身分や家なんてものは目の前の愛しい人の前には意味をなさない。若いからひたむきに情熱のまま行動し、恋に身を焦がすことができる。
悠もそんな気持ちで俺のことを想っているのだろうか。
だけど、四国に行くってことは俺の傍にいたいっていう気持ちよりも、自分の進路を大切にしたいって思ったんだよな。自分のことを大切にしてほしいと常々思っていたから、きっとそれが正しいんだと思う。
なのに、素直に喜べない自分がいる。
いつの間にか話は進み、薬を飲んで仮死状態になっているジュリエットの前にロミオが駆けつけ、膝をついている。
本当は修道士が一計を講じジュリエットが薬で仮死状態になって死んだと思わせて、甦った後にロミオと駆け落ちさせる手筈だった。
けれど皮肉なことにその内容を知らせる使者はロミオに会えず、ロミオはジュリエットが本当に死んでしまったのだとすっかり信じてしまった。
「ジュリエット…ジュリエット…!」
ひたむきにジュリエットの名を呼ぶ姿に心が動かされた。
「我が恋人に乾杯!」
ロミオは毒を煽って死んでしまう。
だけどその後にジュリエットが生き返る。
「私の夫はどこ?」
ロミオが死んだことを説明されて、ロミオを見てショックを受けている。
そしてロミオにキスをした。
「私を殺して。あなたのキスで。あなたの唇、あたたかい」
その唇に毒が残ってないことを知ると、ロミオが持っていた短剣を手にとり、ジュリエットも自死した。
幕が閉じると、最後に演者やスタッフたち全員が前に並んで、礼をした。
大きな拍手が会場に巻き起こった。
悠と美々ちゃんは笑顔で会場を見ている。
恋に溺れる愚かなふたり。たしかこの話は悠たちと同じくらいの年の思春期のふたりの話だった気がする。
様々な束縛に捉われず自分の想いを貫く素直なふたりが羨ましくもあり、大人になった自分にはできないことだとも思った。
俺たち保護者は拍手しながら会場の外に出た。衣装や小道具、大道具を外に運び出すためだ。生徒たちが道具を舞台裏から運び出しているところに合流した。
悠はメイクをしたまま出てきた。
「悠、お疲れ。大舞台はどんな気分だった?」
「緊張してよく覚えてない……」
思わず噴き出した。
「大丈夫、ちゃんと最後まで演技してたよ。会場のお客さん、沸かしてたぞ」
「陽介は?」
「え…?」
悠が目力の強い目で俺を見ている。
「陽介はどう思った?」
「俺?……悠、声低くなったなあって」
「それだけ…?」
何が聞きたいのかよくわからない。悠ががっくりと肩を落としている。
「ジュリエットを陽介だと思って演技したのになあ」
小声でそう言われて、「はあっ?」と思わず声が出てしまった。
ハッとして周りを見回したが、他の生徒や保護者たちは歩きながら親子で話していて、こちらの会話には気づいていないようでホッとした。
あんな風に甘い声、甘い表情をするんだとドキッとした。なのにそれが自分に向けられたものだったなんて。
「何言ってるの……お前。あ、あんな可愛いジュリエット、つか美々ちゃんを前にして、何で俺なわけ……」
胸がざわめくのを努めて冷静に言った。目は合わせられなかった。機材を運びながら、ただ前を向いた。
「僕の気持ち、知ってるくせに」
少しだけ見ると、悠も前も向いたまま衣装とメイクセットを運んでいる。
その横顔がどこか大人びた表情に見えて、その顔から目が離せない。
悠は何を考えている? 遠方での進路を決めたばかりだというのに、まだ俺への気持ちは変わってない?
「おわっ」
持っていた機材を駐車場にあったよその車にぶつけそうになり、慌てて両腕を上げて回避した。
ぶつからずに済んで、思わずはあっと息を吐いた。
何だろうこの気持ち。自分で自分がわからなくて焦りが募る。
悠が行きたいと言った四国の学校で見学説明会が催され、俺と悠ふたりで行くことにした。
八十稲羽からは飛行機を使っておよそ6時間の行程だ。悠が「ここまで来るだけでこんなにお金かかるんだ……」と青ざめていた。
「授業料や寄宿料がそんなにかかんないんだし、高校に毎日通うとなるとそれなりに交通費がかかるんだから、それにくらべたら大したことないって」
笑ってそう言ったが、悠は「帰省する時は高速バスを使うから」と真面目な顔で言った。
説明会ではそこの学生さんが授業や調理実習について説明してくれたり、様々なクラブ活動を紹介してくれた。
この学校では社会実習というものがあり、飲食店で働き、そこで報酬も得られるらしい。
休みの日も当番で家畜や野菜の世話があるため、学校の行事でそういう措置がとられているらしい。個人でアルバイトするよりも学校と契約を結んだ店なら安心して任せられそうだ。
また学生の個人の自由も尊重しているらしく、学生が新しい料理の開発を会社と共同でしたり、新商品のブランドを立ち上げることも許可しているという。
この学校で生まれて大ヒットした食品もあるという。話を聞いているとこちらもワクワクしてくる。隣で話を聞いている悠も目を輝かせて話を聞いている。俺が聞かなくてもこの学校に入学したいという意思が伝わってくる。
悠が頑張りたいと思うことを俺も応援したい。たとえ遠く離れたとしても、俺たちは家族だ。
寂しくてもその言葉に嘘はない。悠が世界に羽ばたくその手助けをしたい。いつも悠が笑顔でいられるように、いつも輝いていられるように。
「良い学校だったな」
帰り際、電車の中。隣に座っている悠にそう伝えると、大きく頷いた。
「先生方も有名な店で働いていたコックさんだったり、大学で研究に携わっていた人たちばかりで、今日の体験授業だけですごく勉強になった」
「俺、お前を応援するよ」
その言葉に悠が目を見開き、顔を上げて俺を見た。
「それって…」
「お前なら大丈夫だと思うけど、受験。頑張れよ」
ぱあっと顔を輝かせた。その顔を見ているだけで俺も仕事頑張りたいって思える。
「ありがとう。陽介。僕、奨学生になれるようにこれからも頑張るから」
「ったく。気負いすぎるなよ。お金は大切だけど、お前の夢を叶えるために使えるなら本望だからな」
悠の頭をめいっぱい撫でると、少し気恥しそうにくしゃりと笑った。
高知から家に戻って、次の勤務日。
出勤すると真っ先に支配人に会いに行った。
「長いこと保留にしてしまってすみませんでした。昇進の件、有難くお受けします」
「そうか。来年以降、異動することもあると思うがよろしく頼む」
「はい」
うちのホテルの場合、3年に一回の昇進審査とともに異動することが多い。
逆にもし家庭の事情などがあって、異動を希望しない場合、昇進が遅くなる。
俺も今年、昇進審査のための面談を受け、必要な資格も持っているので希望を聞かれたが、少なくとも悠の進路先が定まるまでは昇進は保留にさせてほしいと伝えていた。
今までは悠の進学やその先のことが心配で昇進を受けることができなかった。
悠の進路が決まった今、悠の学力と努力がきちんと伝われば、間違いなく入学できるだろう。
悠の父親の出所後のことも気がかりだったが、悠が四国にいたらそう簡単に会いにいけないだろうし、寄宿制で親も事前の申し出がないと会いにいけない仕組みになっているから不安は少ない。
なら、俺も前に一歩進まないと。
悠が大人になろうと努力しているのをただ見ているだけじゃきっとダメな気がする。
父親の代わりに俺が大人として一歩一歩前を歩いていく姿を悠に見せてやりたい。
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No.305|主花SS「家族ごっこ」|Comment(0)|Trackback